福島県伊達市保原町大泉字宮脇…総合公園内

震災前取材

  • 旧亀岡邸
 

この建物は、桑折町伊達崎で蚕種製造業を営んでいた、亀岡正元によって建てられた。正元は郡会議員などを務め、開明的な人であったと伝えられ、この時代の農民住居としては稀な、擬洋風の建築となった。

建物は、総二階建ての客間などの座敷棟と、北側に続く平屋の居住棟の2棟からなる。二階建ての主棟の外観はモダンな洋風で、棟に立つ2つのランタンと飾り煙突、下見板張りの外壁、八角形の塔屋などにその特徴が見られる。これに対し内部は、大部分が純和風の座敷で、洋間は1室だけである。また廊下との間仕切りは障子の代わりにガラス戸を多く用いている。

室内の意匠、建築材も見るべきものが多い。丸森産欅、秋田杉を中心に、紫檀(したん)、鉄刀木(たがやさん)、黒柿、阿武隈川の埋もれ木など、現在では手に入れることが困難な 高級な建築材が、床の間の材等に多用されている。折上げ格天井や書院の亀甲文様の桟、床の間の亀や鶴の彫刻、階段の柿ノ木の彫刻、居間の欄間の松竹梅の透かし彫り等も注目に値する。

しかし、ランタンや煙突などは飾りだけで、あまり機能していないなど、洋風建築としてはちぐはぐではあるが、亀岡邸は、当時の郡役所などの洋風建築と比べても負けず劣らずのもので、明治期の新勢力の経済力と意気込みが感じられる。

昭和60年(1985)、正元の子孫から旧保原町に寄贈され、平成7年(1995)この地に移築復元され、翌年、県の重要文化財に指定された。