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福島県下郷町大内字薬水

震災前取材

  • 桜木姫墳
 

後白河天皇の第三皇子の高倉宮以仁王は、治承4年(1180年)、平家討伐を決意し、源頼政の勧めに従い平家追討の「令旨」を全国の源氏に発し、自ずからも兵を起こそうとした。しかし企ては失敗し、平家の追討を逃れ、この地にいたりしばしとどまり、その後は越後へと落ち延びた。

以仁王を慕う桜木姫は、以仁王の後を追い、ようやくこの大内の地まで辿り着いたが、長旅の疲れから病に倒れ、村人たちの看護も空しくこの地で没した。この地の近くには、さまざまな病に効くと云われる「薬水」と呼ばれる湧水もあり、桜木姫も病の回復を願って、この水を使ったと云う。

村人たちは姫を手厚く葬り、その名にちなんで、墓の傍らには桜の木を植えたと伝えられる。これ以後、この辺り一帯は、御側原と呼ばれるようになり、現在も字名となっている。