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青森健深浦町の月屋には「黄金崎」と呼ばれている地があり、戦国時代、黄金崎善衛門という海賊が、この地で勢力を誇っていた。沖合を航行する交易船から莫大な金品を奪い、黄金の馬鋤で田を起こし、また金で銭を作っていたとも言われている。

この時期、安東氏が蝦夷地から出羽に入り、故地の津軽の地を伺っていた。その安東氏は津軽時代から蝦夷地とは独占的に貿易を行い、この時代も盛んに貿易を行っていた。安東氏と対立する津軽氏は、この深浦地方の海の民たちを水軍に仕立てて、安東氏の交易船を襲わせたのだろう。また江戸期に入ってからも北前船が盛んに行き交った。少なくとも江戸時代の初期までは、この海域に海賊船が出没したことは容易に考えられ、この地に海賊の拠点があったということは十分に考えられる。

また、この善衛門は、金銀財宝をある場所に隠したという伝説があり、その場所は
「朝日さす、夕日かがやく岡の上に、漆百樽、黄金万両」とされている。

このような埋蔵金伝説は、各地に存在し、史実とは考えにくいが、大正時代に、地元の者が馬を放しておいたら、足に漆をいっぱいつけて帰ってきたという。この話は当時の新聞でも取り上げられ、この地の埋蔵金伝説は一躍有名になり、県内外から大勢の人たちが宝探しにやってきたという。しかし今だに、宝を見つけたという話は聞かない。

この地に、「不老ふ死温泉」があり、海辺の露天風呂から望む日本海の大パノラマは絶景で、夕日の美しい温泉として有名である。

この温泉を掘り当てた先代の小宮山利三郎氏は、この地の埋蔵金伝説に惹かれ、黄金崎にやってきたという。だが宝は見つからない。がっかりしているところへ、地元の人が霜焼けを癒やしに行くという岩場にわく湯の話を聞きつけた。

昭和38年(1963)、70メートル掘ったら湯が出た。最初は透明だったのが、次第に金色に。美しい夕焼けも加わり、利三郎氏は「黄金崎の地も湯も黄金色になった。これこそ人間の永遠の願いの湯」と喜んだという。

この地には、秦の始皇帝の命を受けた徐福らが漂着したという伝説があり、それにちなんで「不老ふ死温泉」と名付けたとされる。