龍泉洞は、標高604mの宇霊羅山(うれいらさん)麓にあり 、 全体が典型的なカルスト地形の中にあり、日本三大鍾乳洞の一つである。 全長は2.5km以上とも5km以上とも言われており、現在、そのすべては確認されていない。水深98mの第3地底湖、120m以上ある第4地底湖等、全部で7つの地底湖を持っている。また龍泉洞の水は、世界でも有数の透明度であることでも有名である。
この龍泉洞の起源伝説として、次のような話が伝えられている。
昔、あるとき、宇霊羅山(うれいらさん)麓から、シュー、シュー、シューと変な音が聞こえだした。何の音か、その音は、だんだん大きくなるばかりで、一向に止みそうになく、昼も夜も、シュー、シュー、シューと鳴り続けた。
その恐ろしい音は、七日七晩も続いた。そうして最後に、シューッ、シューッ、シューウウウッと特別に大きな音と一緒に、岩山を割って、なんと大きな龍蛇がとび抜け出てきた。龍蛇はたちまち天に駆け昇り見えなくなってしまった。
その龍蛇のとび抜けたあとは洞になり、美しい泉がこんこんと湧き出した。泉は冷たい水で、飲んでみると、非常においしい水で、村人らみんなが大変喜んだと云う。
また、次のような「隠里」伝説もある。
この地の宇霊羅山は、アイヌの言葉で「霧のかかる山」という意味で、霧に包まれる日が多く、隠れ住むにはうってつけの場所だった。岩泉の里人らは、もとは都人だったが、奈良時代の末期、政争に破れ、追っ手を逃れて、船で小本の海岸にたどりつき、小本川をさかのぼってこの地に至り、ひそかに暮らしてきた大和の一族だった。
しかしその後、蝦夷征討の大和の軍勢と蝦夷の一族が争うようになり、この地にも南から蝦夷の一族が逃れてきて、 山深くの洞窟に隠れ住むようになった。
岩泉の里人は大和の⼀族だったが、逃れてきた蝦夷の一族と争いが起きることもなく、むしろ、同じ追われてきた蝦夷の⼀族に対し同情していた。かといって、生活習慣の違いから、親しく交流することもなく、お互いの立場を認め合いながら、平和に暮らしていた。
この岩泉の里に、アズミというひとりの少年がいた。あるとき、アズミの父親が腹の痛む病気になり、いろいろと手を尽くしたが、どうしても痛みはとれない。アズミは、苦しむ父親を黙ってみていることができず、あちこちその手立てを聞き歩いたところ、ある年寄りが、蝦夷が宇霊羅山の山奥から採ってきてくれた、シドケという薬草を飲ませたら治ったといった。
アズミは、そのシドケという薬草を採りにゆこうと決心し、蝦夷にシドケのことを聞くために宇霊羅山中に分け入った。しかし、蝦夷は岩泉の里人に、その隠れ住んでいる場所を決して教えることはなく、アズミは道もわからず、やみくもに歩き回るしかなかった。アズミは、道もない藪をぬけ、けわしい崖をよじのぼり、ひたすら、歩きつづけた。いつの間にか、あたり一面霧に覆われ、宇霊羅山はその姿を隠してしまい、道も失い、アズミは寒さと疲れでついに倒れてしまった。
どれくらい時がたったろうか、耳元で、誰かささやく声がする。アズミが目を開くと、ひとりの少女が坐って、心配そうにみつめていた。その少女は蝦夷の服装の髪を長く垂らした美しい少女だった。アズミは、その少女に、父親の腹痛を治すために、シドケという薬草を探しに、岩泉の里から来たことを話した。
その少女が云うには、その薬草は山の奥に生えているもので、どのようなものかわからずに一人で探すことはできないということだった。しかし、もしかすると、少女の父親が採ってきたものが家においてあるかもしれないので、あったら持ってきてあげるという。
しかしそれが父親に知られると怒られるので、少女がいつも山遊びできている山中の洞窟で待っているようにいい、その洞窟に案内してくれた。アズミは感謝の気持ちを込めて名乗り、また少女の名前をたずねた。少女はニーロンと名乗り、子兎のようにとび出していった。
もう、日暮れだった。アズミは、ニーロンの言葉を信じ、暗い洞窟の中で一晩を過ごした。翌朝、ニーロンは、とぶようにしてやってくると、朝食にと焼いた鹿肉を差し出し、そして枯れた草の根のようなものをアズミにわたした。聞けばそれこそがシドケだった。
アズミはニーロンに何度も礼を言い、すぐに岩泉の里に帰ることにした。アズミはニーロンにお礼をしたいと思い、父親の病が治ったらニーロンの洞窟を訪ねることを約した。ニーロンは岩泉の里が見えるところまで送ってきて二人は手を振って別れた。
ニーロンからもらった、シドケの薬草のおかげで、アズミの父親の病気はみるみるよくなった。村の人たちが、その薬草をどこから持ってきたのかときいたが、アズミは決して言わなかった。アズミは、あのやさしい蝦夷の娘のニーロンへのお礼にと、亡くなった母親の形見の櫛をもって、ニーロンに教えられた山道を通って、あの洞窟に行った。アズミは薬草の礼を言い、ニーロンに母の形見の櫛を差し出すと、ニーロンは嬉しそうに受け取り、長い髪にさして恥ずかしそうに頬を染めた。ニーロンはそのお返しにと、自分で編んでつくったというアイヌ模様の、小さな袋を、アズミにくれた。その後も二人はこの洞窟で度々会った。
しかし、この小さな二人の恋も、やがて破れる日が来た。蝦夷討伐の大和の軍勢が、岩泉の里にまで攻めよせてきた。大和の将軍は里人らを集め、蝦夷の隠里を聞き出そうとしたが、誰も知らず黙っていた。アズミは知ってはいたが、もちろんニーロンとの約束があり、教えはしなかった。
大和の将軍は怒り出して、宇霊羅山全山に火をつけて焼き払い、蝦夷全員をいぶり出すことを家来共に命じた。アズミは早くニーロンに知らせなければと、その夜、こっそり里を抜け出し、あの秘密の小道を走った。
翌日、大和の軍勢は宇霊羅山のあちこちに、火を放った。宇霊羅山は、三日三晩燃えつづけたあと、ようやく、雨が降って火はおさまった。しかしアズミは、ついに岩泉に帰ってこなかった。蝦夷たちも、その後どうなったかわからなかった。
里人らはそれぞれの思いの中で、「アズミは、ニーロンと共に、遠い北の国へ逃げていった」「宇霊羅山の燃える火の中で焼け死んだ」「二人は、洞窟の中の泉に身を投げて死んだ」とか噂したが、本当のことは誰も知らなかった。岩泉の里人らは、その後宇霊羅山に霧がかかると、あの、アズミとニーロンの小さな悲しい恋を、ひそかに思うのだった。
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