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この山形県高畠町は、かつては優秀なマタギ犬の高安犬の産地だった。この地の犬の宮、猫の宮は、この高安犬の伝説に関わるもののようだ。

和銅年間(708~714)、この地高安村は、毎年春秋の二回、都の役人に年貢の代わりに人を差し出さなければならず、村人は難渋していた。

ある年、文殊堂帰りの旅の座頭が道に迷い、一夜の宿を乞い、村人からこの不思議な人年貢の話を聞き及んだ。座頭は、これは尋常なものの仕業ではないと考え、村人に悪魔退散の策を授け村を去った。

村人たちは、座頭から言われたとおり、甲斐の国から三毛犬、四毛犬を借りてきて、役人達を酒席に招いた。役人達の酔いが回ったところで、二匹の犬を放ったところ、犬は役人達におそいかかり大乱闘になった。

乱闘がおさまり、あたりが静まり返った頃、村人達がおそるおそる座敷を覗いてみると、血の海の中に子牛のような大狸二匹と多数の荒狸が折り重なって死んでいた。三毛犬、四毛犬も傷を受け、手当てをしたが、三毛犬はまもなく死んでしまった。

村人たちは、この村を救った三毛犬を村の鎮守とし祀ったところ、この村は難産もなく生まれる子供は無難に育ち村は栄えたという。四毛犬は、庄屋の手当てのかいがあり生き残り、沢山の子供を産んだ。この地に生まれる犬は、強い耐久力と激しい闘魂を持つ優秀な狩猟犬で、高安犬として今に伝えられる。


延暦年間(781~805)、高安村に信心深い庄右衛門とおみねという庄屋夫婦が住んでいた。二人には子供がなく、猫を可愛がっていたが、なぜか次々と病死してしまう。そこで丈夫な猫が授かるように祈っていたところ、ある夜、夢枕に観音菩薩が現れ、「猫を与えるから大切に育てよ。さすれば村中安泰、養蚕も盛んになる」とお告げがあった。

翌朝庭に三毛猫が現れ、夫婦は大いに喜び、「玉」と名付け大切に育てていた。ところが歳月がたつにしたがい、不思議なことにおみねがどこへ行くにもかたときも離れず、寝起きはもちろんの事、特にかわやへいくと、天井をにらみ今にも飛び掛らんばかりに耳を横にしてうなっている。

そのあまりの異様さに、思い余った庄右衛門は隠し持った刀で玉の首を切り落としてしまった。すると、玉の首はかわやの屋根裏に向かって宙を飛び、そこに潜んでいた大蛇の首に噛み付き、大蛇を噛み殺した。

この大蛇は、70数年前に三毛犬、四毛犬に殺された古狸の怨念の姿であり、玉は庄屋夫婦を守っていたのだった。庄屋夫婦は大いにくやみ、村人たちとともに観音堂を建ててねんごろに弔い、「猫の宮」と称した。以後、村人たちは猫を大切に育て、養蚕も盛んになったと伝えられる。

この猫の伝説は、宮城県の仙台市、利府町、などに、大筋で同じ内容の伝説が伝えられている。