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姫神山は、岩手県盛岡市玉山区にある独立峰で、標高1123.8mで、ピラミッド型をした山容が特徴である。歌人石川啄木は、この山麓の渋民村で育ち、この山をこよなく愛したことで知られる。

平安時代の初め頃、京の都には鈴鹿山を根城にした鬼どもが出没し悪事を働いていた。桓武天皇はこれを見かねて、坂上田村麻呂に鬼を征伐することを命じた。田村麻呂が鬼を討伐するために山中に分け入ったおりに、一人の神女にめぐり会った。その神女は「立烏帽子神女」と称し、田村麻呂を見込んで、自ら進んで彼の守護神となった。

その時以来、神女は田村麻呂を護り、彼が戦う度に勝利をもたらしてくれた。その後田村麻呂は、胆沢地方のエミシ勢力を征圧し、次いで志波地方のエミシ勢力の掃討作戦にも勝利した。田村麻呂はこの時、この地の美しい山を見て、その神女を山頂に祀り、後に「姫神山」と呼ばれるようになったと云う。

この地方には、この姫神山を中心とし、西には岩手山、東には早池峰山があり、この三山を巡っての伝説も伝えられている。岩手山の山容は荒々しく、姫神山の山容はなだらかであり、その山容から、岩手山を男神、姫神山を女神とし、古くから多くの伝説が伝えられている。

岩手山は南部富士とも呼ばれ、力持ちで男ぶりもよく、器量の良い働き者の姫神山を妻とし、仲睦まじく暮らしていた。ところが岩手山は、いつしか美しい早池峰の女神に心を奪われるようになった。

これを知った姫神山は怒り、やきもちをやき、岩手山の不実を毎日なじった。それに耐えかねた岩手山は、理不尽にも姫神山を追い出すことにした。岩手山は、送仙山の神に、「姫神をどこか見えないところへ連れて行け」と言い付けた。

岩手山は、この地の神々の中では、動物も草木も川も山も、その命にそむくことができないほど恐れられていた。送仙は仕方なく、姫神を説き伏せ、遠くに連れて行こうとしたが、悲しみにくれる姫神を東へと連れて行ったが、心進まぬ姫神の足は中々進まず、送仙山も同情しながらも何とか北上川を挟んで少し隔てただけの場所に連れていき姫神山を座らせた。

翌朝、岩手山が周りを見渡すと、東のあまり遠くないところにまだ姫神の山が裾を引いていた。岩手山はこれを見て怒り狂い、真っ赤な火を噴き、言い付けに背いた送仙の首をはねてしまった。送仙山の山頂が平らなのはこのためと言われており、斬られた首は、岩手山を睨みつけ南の方へ飛んでいき、岩手山の稜線上の鞍掛山になったと云う。

これ以降、今でも岩手山、姫神山、早池峰山の三山が同時に姿を現すことはめったになく、岩手山が現れると姫神山は雲の中に姿を隠し、姫神山がくっきり見える日は早池峰山は姿を見せないと云う。また、姫神山に登る人はその年は岩手山に登ってはならず、岩手山に登る人は、姫神山に登ってはならないと云う。