奥入瀬渓流には、厚さ1m、広さは10m四方もある大磐石が自然の岩屋をなしている石ヶ戸がある。その昔、この石ヶ戸には「鬼神のお松」という美しい女盗賊が住んでいたと伝えられる。
「鬼神のお松」は、石川五右衛門、児来也と並び、日本三大盗賊の一人として歌舞伎などで取り上げられている。
お松はもとは深川の遊女だったが、仙台藩士の立目丈五郎に見初められ、江戸から仙台に移り住み、丈五郎の女房として幸せに暮らしていた。しかしある日、夫丈五郎が、御前試合のもつれから剣道指南役の早川文左衛門に殺されてしまった。
愛する夫を殺されたお松は仇討ちを決意し、夫の仲間の稲毛甚斎に助太刀を頼んだが、非道な稲毛は、助太刀の条件にと、お松の体を求めてきた。お松がこれを必死で防ぐうちに、お松の懐剣が稲毛の胸にグサリと突き刺さり、稲毛はあっけなく死んでしまった。
仙台に戻ったお松は、そ知らぬふりで早川文左衛門に近づき、色仕掛けで一ノ関への旅に出た。衣川を渡るときねだって背負ってもらい、川の深間に差し掛かかったとき懐剣を抜き放ち早川を刺し殺し本懐を遂げた。
その後、一関の北にある金岳山で三島権左衛門率いる20余名の盗賊に囲まれるが、巧みに権左衛門を倒し盗賊団の頭目に収まる。そして、手下を率いて近隣の村々を略奪して回り「鬼神のお松」と恐れらるれようになった。その後、仇と狙う早川文左衛門の遺児に金岳山で討たれる。
この地の伝説では、このお松が、どういう経緯でかはわからないが、この奥入瀬の石ヶ戸の女盗賊として現れる。
お松は、この石ケ戸を住処として道行く旅人から金品を奪っていた。あるときは、旅人を見かけると先回りして行き倒れを装い、その美しい顔をゆがめもだえながら頼むと、男たちは全く疑うことなく優しく介抱してくれた。その男たちの下心の隙をつき、短刀で刺し殺した。
またある時は、川を渡ることが出来ずに困っている風を装い、恥じらいながら、背負って渡してくれるように頼むと、男たちはいともたやすく承諾した。お松を背負った旅人が川の中ほどに差し掛かると、お松はいきなり短刀を旅人の首に突き立て刺し殺すのだった。こうして、お松の毒牙にかかった男は48人にのぼった。
ある日、49人目の身なりの良い侍がこの地を通った。仙台の夏目仙太という侍で、お松は知る由もなかったが、仙台きっての剣の達人だった。お松は良いカモが来たと喜び、いつものように媚びを見せながら、川を背負って渡してくれないかと頼んだ。
仙太は、そのお松の色気あふれる仕草のなかに異様な殺気を感じたが、それでも困っている女子をそのままにして通り過ぎるわけにもいかず、お松を背負って川を渡り始めた。お松が隠し持った懐の短刀をそおっと取り出し侍の首を突き刺そうとしたその瞬間、仙太は背負うていたお松を投げ飛ばし、一刀両断のもとに成敗してしまった。
あわれお松は、奥入瀬川をおのれの血で真っ赤に染めて流れて行ったと云う。
石ヶ戸は、どう見ても生活が営めるような岩屋ではなく、当然、この話を史実として考えるのには無理がありそうだ。鬼神のお松の話は、歌舞伎や講談、読み本などで様々にアレンジされたようで、その場所は、奥州笠松峠だったり、一関金岳山だったりする。また登場人物も鬼神のお松以外は、様々な名前で現れているようだ。
ただ、鬱蒼とした奥入瀬渓流や、八甲田の山深い笠松峠で、旅人が盗賊に襲われたりすることはあっただろう。この地の伝承は、この「鬼神のお松」の話を借りて、旅人たちへの警鐘としたものだろう。