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イザベラは、英国公使館で旅の準備を始めながら大都市の東京と、日本人の様子を仔細に眺めた。イザベラは静かな江戸城周辺の屋敷町よりも、庶民の姿を余すところなく見ることができる、浅草に興味を持った。浅草の仲見世では、人ごみの中を歩き、おもちゃや、煙草道具、かんざし、仏具などを売る店を眺めながら、花火や造花など、たわいないものに興味をしめし、日本人の感性を肌で感じたようだ。また浅草寺境内は、キリスト教徒にとっては異質な空間として圧倒されたようだが、壮大な堂宇や木彫りの仏、様々な奉納物、笑い声や読経の音などに、漠然と日本の宗教観を感じたようだ。
急激な文明開化の中にある日本人の気負った洋装や、洋風の家具の見立てなどには、滑稽さを感じているようだが、それでも和服姿の女性の美しさを絶賛している。

第六信
粕壁、6月10日

日付を見ればわかるように、私は長い旅行を始めた。しかしまだ未踏の地に至ってはいない。それは日光を出発してから入るつもりである。私の旅の第一夜を、ただ一人でこのアジアの人の混み合っている、生活の中で過ごすことは、奇妙でもあり、恐ろしくさえもある。私は心配のために、一日中、いらいらしてきた。びっくりさせられるのではないかという心配、群衆から乱暴に襲われるのではないか、《アイレー島(スコットランド)出身のキャンベル氏がおどかされたように》、日本人の礼儀作法を破って、怒らせることにはなりはしまいか、等々の心配である。伊藤だけが頼りである。しかし彼の「折れた葦」(頼りにならぬ人)となるかもしれない。私は計画を断念したいと何度思ったかしれない。しかし私はそのたびに、自分の臆病を恥じた。最も確かな筋から、旅行の安全を保証してもらったではないか。

(中略)

【車夫】
私は月曜日の午前11時に公使館を出発し、午後5時に粕壁についた。23マイルの全行程を、車夫たちが、軽やかな足取りで走り続けてくれた。しかし、煙草や食事のための休憩はしばしばであった。
これらの車夫たちは、青い木綿の短い股引をはき、帯に煙草入れと煙管を差し込み、袖の広いシャツは青い木綿で短く、胸のところをあけており、腰まで達していた。青い木綿の手拭いを、頭の周りに縛りつけていた。日がとても暑いときには、平らで円盤状の笠をかぶる。これはいつも車の後ろに下げており、照りつける時も、雨の時にも用いられ、それを頭に結び付けるのである。彼らは草鞋を穿いていたが、道中で2度取り換えなければならなかった。青と白の手拭いが、棍棒に下げてあった。やせた褐色の肉体からどんどん流れ出る汗をぬぐうためのものである。上着は、いつもひらひらと後ろに流れ、竜や魚が念入りに入れ墨されている背中や胸をあらわに見せていた。入れ墨は最近禁止されたのであるが、装飾としてこのまれたばかりではなく、破れやすい着物の代用品でもあった。

(中略)

【農村】
この地方は全くの平坦地で、人工的な泥地か低地である。この肥沃な湿地帯にはいろいろの水鳥が止まっていた。何百人という男女の姿も膝まで泥につかっていた。というのは、この関東平野は、主として大きな水田地帯からなり、今が田植えの最盛期なのである。彼等は私たちを理解する意味で「パンを水の上に投げる(エビでタイを釣る)」のではない。日本で栽培される主要な稲の種類は、八種か九種ある。陸稲を除いて、そのいずれも泥と水を必要とし、泥をかき回したりやっかいな仕事が多い。米は主要食糧で日本の財産である。日本の収入は米で評価された。灌漑の可能なところでは、ほとんどどこでも稲が栽培されている。

(中略)

関東平野には土手道となっている街道に沿って、ほとんど絶え間なく村落が続いているほかに、樹木に囲まれた村落が、島というべきように散在し、何百という楽しげな緑の土地がオアシスのように存在する。そこでは刈り入れるばかりの小麦や玉葱、黍、豆、エンドウがよく栽培されていた。蓮の池もあった。そこでは、あの壮麗な花の蓮が、食用というけしからぬ目的のために栽培されている。そのすばらしい典雅な葉は、すでに水面上に1フィート出ている。

(中略)

【茶屋】
私たちが路傍の茶屋で休んでいる間に、車夫たちは足を洗い、口をゆすぎ、ご飯、漬物、塩魚、そして「ぞっとするほど厭なもののスープ(みそ汁)」の食事をとった。それから彼らは小さな煙管でたばこを吸った。煙草は一度詰めるごとに、3回ぷうっと吸うのである。私が一本の煙管に手を出したら、一人の少女が煙草盆を持って来てくれた。煙草盆は木か漆の四角の盆で、陶器か竹製の炭入れと灰入れが上についている。もう一人の少女は膳を差し出した。膳というのは、約6インチの高さの、小さな漆塗りの食卓で、小さな茶瓶をつけてあった。茶瓶は直角に中空の柄がついてあり飲み口がある。これには英国のティーカップ一杯ほどの分量が入っている。それから茶碗が二つ。これには柄やお皿はついていない。それぞれ10口から20口分くらいの少量のものを容れる。お湯は、お茶の葉の上に、ちょっとの間だけひたすだけで良い。液は透明の淡黄色ですばらしくいい香りがする。いつ飲んでも気持ちよくさわやかである。日本茶は、湯の中によどませておくと、不快な苦みと健康に良くない収れん性を帯びてくる。牛乳や砂糖は用いられない。どの茶屋にも清潔な感じのする木製か漆器の蓋付き飯櫃がある。熱いご飯は注文の場合を除いて、毎日3度しか用意されない。お櫃にはいつも冷飯が入っており、車夫たちはその飯に熱いお茶を注いで熱くして食べる。食事のときには茶屋の女中が、この飯櫃を傍らにおき、お客の前に座って、もう充分ですと言うまで飯椀におかわりを盛ってくれる。この街道では、1時間か2時間休息してお茶を飲めば、3銭か4銭を茶盆においてゆくことになっている。

(中略)

【襖・障子・畳】
私は黒く磨かれた、木の険しい階段を上って、階上の部屋に入った。部屋には深い軒下の縁側が付いていた。この家の2階正面は一つの長い部屋で、横と正面しかないが、不透明の壁紙が貼ってある襖を、敷居の溝にはめれば、直ちに4つの部屋に分けることができる。背面も即席でつくられる。しかしこれは私たちのティッシュペーパーに似た、半透明の紙を張った障子て、所々に穴や裂け目があった。この仕事が終わると、私は約16フィート平方の一部屋があてがわれた。部屋には、鍵、棚、手すりなど、何か物を掛けるものが一つとしてなかった。部屋は要するにからっぽで、マットしかついてなかった。マットという言葉を使ったが、誤解されると困る。日本の家のマットは、畳と呼ばれて、最も立派なアックスミンスター絨毯と同じほど、清潔で優雅で柔らかい床の敷き物である。畳は長さが5フィート9インチ、幅が3フィート、厚さが2インチ半である。枠組みは粗い藁で堅固につくられており、非常に折り目の細かい畳表に包まれていて、ほとんど真白である。どの畳も紺色の布でふちをつけてあるのがふつうである。部屋はふつう、その中にある畳の数によって大きさが計られる。部屋に合わせて畳を裁断するのではないから、畳数に合わせて部屋を作らねばならない。部屋は常に平たんで、床の周りに磨かれた敷居や、突き出た棚がある。畳はやわらかで弾力性があり、質の良いものはとても美しい。畳は最上のブラッセル絨毯ほど高価であり、日本人は畳を非常に誇りにしている。だから心無い外人たちが、汚れた靴で畳の上に踏み込むようなことがあれば、大層困ってしまうのである。不幸なことだが、畳には無数の蚤が付いている。

(中略)

【プライバシー
手紙を書こうとするのだが、蚤や蚊がうるさかった。そのうえさらに、しばしば襖が音もなくあけられて、幾人かの黒く細長い目がすき間から私をじっとのぞいた。というのは、右となりの部屋には、日本人の家族が二組、左となりの部屋には5人いたからである。私は障子と呼ばれる、半透明の紙の窓を閉めてベッドに入った。しかしプライバシーの欠如は恐ろしいほどで、私は今もって鍵や壁やドアがなくても、気持ちよく休めるほど他人を信用することができない。隣人たちの目は絶えず私の部屋の側面につけてあった。一人の少女は、部屋と廊下の間の障子を2度もあけた。一人の男が――後で按摩をやっている盲目の人だとわかったのだが――入ってきて、何やらもちろんわけのわからぬ言葉を言った。その新しい雑音は全く私を当惑させるものであった。

【町の騒音】
片方では甲高い音調で、仏の祈りを唱える男があり、他方では三味線(一種のギター)を奏でる少女がいた。家中がおしゃべりの音、ぱちゃぱちゃという水の音で、外ではどんどんと太鼓の音がしていた。街頭からは無数の叫び声が聞こえ、盲目の按摩の笛を吹く音、日本の夜の街を必ず巡回している夜番の、よく響き渡る拍子木の音がした。これは警戒のしるしとして、二つの拍子木を叩くもので、聞くに堪えないものだった。それは私の少しも知らない生活であった。その神秘は、魅力的というよりもむしろ不安をかき立てた。私のお金はその辺にころがっていたから、ふすまから手をそっとすべりこませて、そのお金を盗んでしまうことほど容易なことはないように思われた。井戸はひどく汚れているし、ひどい悪臭たと伊東が私に言った。盗難ばかりでなく、病気まで心配せねばならない。私はそんなことをわけもなく考えていた。

(中略)

【旅への覚悟】
今では私は、その時の恐怖や不幸なことを笑い飛ばすことができる。旅行者というものは自分の経験を贖わなければならない。成功するのも失敗するのも、主として個人的特性によるものである。多くの問題も旅を重ねるにつれて、経験を積むことにより改善されるであろう。そして安心して旅行をする習慣が身に着くことであろう。しかしプライバシーの欠如、悪臭、蚤や蚊に苦しめられることは、これから先も治らない弊害ではないかと思われる。

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