裸島は、青森県青森市浅虫の、白根崎西方500m沖にある、高さ33mの流紋岩で構成されている巨岩で、かつては陸続きだったものが波浪の浸食や風化により現在の将棋の駒を立てたような島になったと思われる。その表面は温泉化作用を受けて黄褐色に変質している。
この独特の景観は、多くの人々に愛されていたようだ。学生時代の太宰治は、干潮の遠浅の時にこの裸島に渡り読書に耽っていると、知らない内に満潮となりフンドシ一丁で戻ったと伝えられ、棟方志功も度々スケッチに訪れたという。
またこの島には、次のような伝説も伝えられている。
昔、近くの里で母親が乳飲み子を木陰に寝かせ畑仕事をしていた。すると突然大きな羽音とともに大鷲が舞い降り、眠っているわが子を鷲づかみにして飛び去っていった。
母親は必死に大鷲を追いかけたが追いつくわけもない。大鷲は裸島の頂上に下りて、子供を置き去りにして飛び去ってしまった。
母親は狂乱し、必死にのぼろうと、素手で岩肌をひっかいた。爪は割れ、手は血に染まり、血は岩肌を赤黒く染めた。それでもなんとか頂上まで登り、子供を無事取り戻すことができた。
このため、滑らかな岩だった裸島は側面が欠き削られ、母親の血で染まり今の形になったと云う。
オオワシは、カムチャッカ半島や樺太から、越冬のため北海道や本州北部に飛来する。日本で一番大きなワシともいわれ、全長オス90センチメートル、メス100センチメートルほどで、翼開張は220-250センチメートルほどある。
オオワシはアイヌ語でカパッチリ・カムイ(ワシ神)と呼ばれ、畏怖の対象だったようだ。オオワシの真っ白い尾羽は、和人たちの弓矢の矢羽として珍重され、平安時代からアイヌの最も高価な貿易品だった。
海岸や河川、湖沼など、水辺に生息し、主にサケやスケトウダラなどを食べるが、ネズミやウサギなど、小型から中型の哺乳類、動物の死骸なども食べる。
成鳥であれば、4~5kgの中型哺乳類を襲うこともあるようで、そのようなことから「赤子をさらう」ような伝説が生まれたのだろうが、『沙石集』や『日本霊異記』には、大鷲によって子供がさらわれ、その子供が助け出され偉人になるという伝説が見られ、大鷲は害鳥としてではなく、神仏の使いのような扱われ方をしているようだ。
この地の伝説でも、大鷲を人間に敵対する物のようには扱ってはいないような感じで、このストーリーの中での「子供」のその後につながっていったのかもしれない。