10月29日
昨夜のうちに会津に入った。台風22号の後ろを追いかける形になった。時折吹き付ける強風と雨で、予定ヶ所をまわることはできなかった。しかしそのような中でも、自然は凶暴な姿の中で、ふと美しさを見せることがある。只見川を写真に収めた。やむなくそのまま次の鶴岡まで走る。風雨ますます強く車の運転も危険な状況になり、途中の道の駅で車中泊。ごうごうと荒れる風の音を聞きながら寝入る。
10月30日
この日も昨夜ほどではないが荒れ模様。鶴岡周辺では、数カ所の紅葉の時期の庭園を写真に収めたかったが、この日も早々に断念、3ヶ所ほどの資料館をまわり弘前方面に向かった。途中、時折の晴れ間のなか、秋景色を写真に収めた。
10月31日
風は強いが、どうやらこの日は晴れそうだった。日の出前に出発し弘前に向かう。前回から使い始めた新兵器のカーナビに導かれ進んで行くと、突然、見事な平城に遭遇した。以前、弘前市は殆ど歩きつくしていたので、見落としているはずはなく、驚き車を停めて調べると、すでに収録していた堀越城で、ごく最近復元されたものらしい。時折、その地域によっては、復元という名の観光開発破壊が行われる場合もあり、期待と不安で、カメラを抱えて飛び出した。
堀越城は、弘前城が築城される前の津軽氏の本拠城であり、津軽為信による津軽統一の拠点の城だ。歩き始めてすぐに安心した。時代考証がしっかりと行われているようだ。高い土塁と水堀が見事に復元されている。予定していなかったこの堀越城の出現で、欲求不満気味の気持ちが一掃された。
その後、西目屋村の白神山系をまわり、津軽半島に向かった。
11月1日
この日も相変わらず風は強い。夜明け前に五所川原を出発し、十三安東氏の拠点の福島城脇の道の駅に向かった。この道の駅には展望台があり、十三湖を見渡すことができる。運が良ければ十三湖と岩木山と日の出をワンフレームに納めることができるのではと考えたからだ。しかし気まぐれな女神は、日の出を厚い雲で隠し、展望台の上のカメラに強い風を叩きつけて来る。止むをえず撤退し、次の柴崎城に向かった。
柴崎城は、城としては見るべきものは何もない。しかしこの城は、義経北行伝説のモチーフの一つと考えられる安東氏が蝦夷地に落ち延びた際の城だ。目の前には小泊の漁港があり、尾根伝いに権現崎に出ることができる、安東氏の詰の城だ。
城跡を廻り終え、竜飛岬まで足を延ばす。竜飛はすでに詳細に回っていた。竜飛までのルートは「龍泊ライン」と呼ばれ、中でも再頂部の眺瞰台からの眺めは、まことに「絶景」といって良いものだ。しかしこの眺瞰台でも女神は不機嫌で、立っているのもやっとのような強風を吹き付け、カメラのシャッターを押させまいとするかのようだ。眼下に見えたはずの紅葉は、強風に薙ぎ払われ、荒涼とした冬支度の竜飛岬が広がっている。それでも女神のすきを見計らい、その横顔をカメラに収めた。
自然は時に美しく時に恐ろしい。しかし吹き荒れる地吹雪の中でも、ふっと美しさを見せることがある。そのような美しさをカメラに収めたいものと思っているのだが、技術のつたなさもあり中々思うに任せない。
今回の旅でも多くの写真を撮ったが、その殆どは技術の拙さから美しいとは言えないものばかりだが、実際には風雨の中でもワクワクする程美しいのだ。そんなことを考えながら、今回の旅の最遠の地から帰途についた。