2010/11/18取材 秋田県大仙市

 

歴史散策⇒上淀川宿

能代からの帰り道大仙市に寄った。この日のメインは払田柵を考えていたが、当然、それ以外の場所もピックアップしており、この上淀川宿もそのうちの一つだった。

上淀川宿は、羽州街道と、盛岡に抜ける雫石街道の分岐する位置にあり、この地には、八郎潟の主の八郎太郎が、田沢湖の辰子姫を訪れる途中に宿泊したという伝説が伝えられていることに興味を持ってのことだった。

集落に入ると、そこはどこにでもある農村の集落にしか見えなかった。それぞれの建物も、ことさらに歴史を感じさせるようなものは見受けられない。あとで聞いたことだが、この地域は近年大火にあい、古い建物は殆ど焼失したのだという。かろうじて集落の両端の道路が屈曲しており、宿場町の枡形道路の様子は見られる。

地元の方に尋ねてみたところ、幸いなことにこの地の伝説に詳しい方のようで、この地が伝説の地には間違いないようだった。その方に教えていただいたお宅をたずねると、その家のおじいさんが、裏庭で干し柿つくりに精を出していた。

恐るおそる、八郎太郎の伝説の地はここかと尋ねると、いともあっけらかんと、「んだ、おらいの家だ」と、いともあっさりという。かつてこの地にあった、ご先祖の宿屋に、八郎太郎がとぐろを巻いて泊まったのだという。

おじいさんの話は、おどろおどろしい話をする講談師の様でもなければ、昔話をする語り部のおばあさんのようでもない。このおじいさんにとって、八郎太郎が泊まった話は、物語では決してなく、先祖から長く伝えられた、今もご自分の身の隣にある「事実」なのだろう。なつかしそうに、久しぶりに会った親戚のことを話すように話してくれた。

昔は、雪に閉ざされた家の囲炉裏のまわりで、ご先祖から長く伝えられた話が語りつがれてきたのだろう。しかし、過疎化の中、語り継ぐ子どもが、この集落にどれだけいるのかと考えると、もしかするとこれらの伝説も消えていくしかないのかもしれない。

帰りに、この地の草分けであった、このおじいさんのご先祖が祀ったという林の中の小さな祠に手を合わせ、次の地へ向かった。