2007/04/24取材 岩手県八幡平市
歴史散策⇒五日市館跡
盛岡を出発して国道4号線を北に走り、滝沢の別れで国道282号線に入る。旧津軽街道だ。晴れた空に間近に見える岩手山が美しい。この街道は、江戸初期の南部藩の財政を大きく支えた、白根金山を始めとした金山と盛岡を結んだ黄金街道だったはずだ。街道筋には趣のある古い家並みが時折見かけられ、車を停めたい誘惑にかられるが、一路安代に向う。
五日市は、盛岡からの津軽街道と、八戸から続く鹿角街道が合流する地で、「小説・蟠龍雲に沖いる」では、三戸から鹿角街道を進撃する津軽勢と、鹿角から立ち退く荷駄隊を守る毛馬内長次の南部勢が激突する地として設定した。以前に訪れたことがあり、地形的には頭にあったが、写真の撮影はしていなかった。
盛岡から一気に五日市まで走り、すぐに安比川の水量を確認した。この地での戦いは訪れた時期とほぼ同じ、4月の末に設定しており、雪解けの水を集めて水量の多い安比川を津軽勢が渡河し、これを南部勢が迎え撃つ。水量は申し分なく多く、かつ冷たかった。周辺の地形を仔細に調べた。気づけば、いつのまにか、小説でこの地を守ることになる毛馬内長次の気持ちになっていた。
この街道の合流点の東側に五日市館跡がある。館跡の城山の麓に、地元の方の墓石があり、碑文に、九戸の乱に敗れた櫛引氏の一族がここに住みついたことが記載されていた。「九戸城でなで斬りにされた一族の生き残りが」と見ただけで体が震え、盛岡城の高石垣を見上げたときほどの感動を覚える。歴史マニアなどたわいもないものだ。
館跡そのものは比較的小さく、全く未整備で主郭部は畑になっていた。さほど大きな館ではないが、しかし社が置かれ、南は安比川が削った断崖になっており、西側には切掘もしっかり残っている。櫛引氏の一族は、この地で亀のようにひっそりと、硬く防備を構え潜んだのだろう。その後この一族はどうなったのか、墓石の碑文のこともあり印象に残る館跡だった。