2010/05/16取材

 

歴史散策⇒角館武家屋敷

この日は、秋田を早く発ち、早朝の内に角館に入った。この地でのメインは、角館城址とこの武家屋敷だった。桜はさすがに終わり、新緑の季節に入っており、それでも武家屋敷の黒塀に早朝の日の光に輝く新緑の桜はまたよくはえる。

伊達氏との摺上原の決戦に破れた葦名氏は、常陸の佐竹氏を頼り、関ヶ原以降、さらにこの地に移り、不運にも、結局この地で断絶した。またこの地は、戊辰戦争の際には、官軍側として庄内藩などの列藩同盟軍と戦い死守した地でもある。

藩政期には、仙北郡の政治経済の中心地であったが、明治以降、郡役所が大曲に置かれたことから新しい時代の流れからは取り残されていった。しかし、今に残るかつての町並みは、観光資源として注目され、多くの観光客がこの地を訪れるようになっている。

町外れの駐車場に車を置き、武家屋敷の通りを端から端まで歩き、早朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。吸い込んでから思った、明らかに空気が違うのだ。しばらく歩いてから気が付いた。この地は景観地区として一般の車の乗り入れを禁止しているのだ。確かに、この町並みに車の姿は似合わない。大いに納得するところだ。

通りを覆う、新緑の桜は、その多くはシダレザクラで、角館北家二代目佐竹義明の妻が、嫁入り道具の一つとして持ってきたのが始まりとされ、樹齢300年以上の老樹など約400本が古い町並みの中に立ち並んでいる。どの木々もよく手入れされているようで、樹勢は旺盛で、早朝の日の光に小さな葉はどれもつやつやと輝いている。

この通りは、桜の満開の時期には多くの観光客であふれるのだろう。満開の桜を思い描きながら、早朝の、観光客の誰もいない新緑の町並みを歩くのは、多少負け惜しみ的ではあったが、上々のものだった。

昨今、観光と言うと、とかくテーマパークとか、巨大ホテルや、カジノの誘致などの話になってしまっている。そのような風潮には常に疑問を感じており、観光の基本は、手付かずの美しい自然と、歴史に裏打ちされた伝統と文化だと思っている。この町並みを歩き、一時的な享楽をもたらすような「観光」は、一過性のものでしかなく、長期的にはその地の伝統や文化を台無しにしてしまうのではという思いを新たにした。