2010/05/07取材

 

歴史散策⇒大内宿

小野観音堂を後にして大内宿に向かった。県道329号線を進めば迷うこともなく大内宿に着いた。大内宿は、奥会津の観光の大きな目玉になっており、この日はゴールデンウィーク内でもあり、多くの観光客が訪れていた。

しかし、よくも宿場の町並みがこれだけ完全に残っていたものだ。古いものが古いままで残っているというだけで、それは新しい産業に匹敵する価値を生むものなのだ。

かつてこの地は、雄藩会津松平藩の領内の宿場として、会津と下野を結ぶ街道にあり繁栄したはずだ。当時会津は、政治的にも、経済的にも福島県の中心地的な位置にあった。しかし戊辰戦争での敗北は、会津を一気に奈落の底に落としてしまった。この宿場を利用する者もめっきり減り、会津地方は新しい時代に取り残された。しかしそれが結果として、この時代にかつての町並みをほぼ完全に残し、現在、心の安らぎを求める「旅人」が多数訪れている。

かつては日本中のいたるところに見られたこのような町並みが、現代にこのように残っていることは奇跡的なことなのだろう。しかしこの奇跡を生み出した背景には、地獄のような日々があったことも事実である。「観光地」があまり好きではない私も、この地が現代において観光という新しい産業を手にしたことを素直に喜びたいと思った。