2014/01/22

 

歴史散策⇒波立海岸

2011年3月の震災前の二月ほど前には三陸海岸沿いを。一月ほど前には、この福島県浜通りを訪れていた。この両地域は、真冬でも雪はほとんどなく、私の歴史散策では、冬でも訪れることができる地だった。それがあの大震災である。さらにこの浜通りの地は原発事故が起き、立ち入りも出来ない地になってしまっていた。

この地域の方々には、史跡の場所を教えていただいたり、この地に伝えられる伝説を教えていただいたり、中にはお茶までごちそうになったときもあった。しかしその多くの方々は名前も知らない。あの日は、ローソクの明かりの下で、ラジオから伝えられる被害状況を胸がつまる思いで聴いた。中でも原発の事故は衝撃的で、その後の情報からも楽観的なものは何もなく、結局はこの地の多くの地域が、役場ぐるみ全町全村避難に陥った。その後落ち着いてからも、仕事で相馬市まで来ることはあっても、その先に進むことは出来ず、浜通りを訪れることはあきらめていた。

この日はいつもとは仕事の順番を大きく変更し、福島県の棚倉町を最終地として、そこからいわき市に入り、浜通りの様子を見て周るつもりだった。どこまで行けるのか、回り道はどうなっているのか、時間はどの程度かかるのかなど、ほとんど分からないままだった。

いわき市に宿をとり、翌朝の日の出前に出発し、取りあえず日の出の名所の波立海岸に向かった。波立海岸の日の出は震災前と変わらず美しかった。しかし遊歩道の手すりは折れ曲がり、海岸近くのレストハウスの跡には、除染のための作業員宿舎が立ち並び、作業開始の準備をせわしく行っていた。目をこらせば、震災の爪痕はいたるところにあるようだが、それらはできるだけ見ないように努めた。「何のためにこの地に来たんだ」と、問いかけてくる自分がいる。この先には、もっともっとつらい物が待ち受けているはずだ。それに耐えられるかどうか自信がなかった。そのまま国道6号線を北上した。