2012/09/07

 

歴史散策⇒月輪館跡

この日は、今回の仕事の最終日で、午後からは自由気ままに、前回大雨で断念した花巻周辺の周遊を考えていた。昨夜は登米市に宿泊し、この日は仕事までの時間をこの月輪館跡を調べるために、朝一番に訪れた。

この日の朝は霧が深く、遺構のある頂上部は殆ど視界が利かないほどの霧だった。それでも猛暑が続いている中、朝早い霧の高原は心地よい。霧が晴れるまでの間、車の窓を開けて、僅かにそよぐ秋の香りを楽しみながら朝食をとった。

月輪館は、以前地元の方に案内いただいて訪れたことがあったが、非常に不思議なたたずまいの山城だ。この地の保呂羽城とも通じるものがあり、両方ともに中世には葛西氏の勢力下にあったと思われる城だ。佐竹氏や伊達氏の凶暴な山城とはその様相はかなり違う。

月輪館は、北上川右岸に南北に伸びる玉山を頂部とする尾根に位置する。上り口は急な断崖ではあるが、頂部の尾根はゆるやかに波打つ高原状の牧草地になっている。その最頂部から北側の位置に二重の空堀の遺構があるが、その区画は大きいとはいえない。空堀内だけを城域と考えるにはあまりに小さく、周辺からの比高もあまりなく防備も脆弱だ。中世の山城であれば、一般的には尾根を断ち切る空堀が見られるのだが高原状の尾根にそのような痕跡は見られない。

さらにこの地には、迫合戦の際の落城伝説が伝えられている。天文年間にあったとされる「迫合戦」も謎であり、またそこに登場する登場人物たちもまた謎である。

朝霧も晴れ、以前は入り込まなかった夏草の藪に突入し、仔細に空堀を確認した。なんらかの防御のために、確実に多くの労力が費やされている。それでも空堀内の主郭にあたる部分は背丈よりも高い藪で雑木が生い茂り入り込むことはできない。現在主郭を守っているのは、皮肉にも空堀でも土塁でもなく、濃密な薮なのだ。

汗だくになり藪から抜け出すと、霧はあらかた晴れ、高原の牧草地の先に広々とこの地の水田地帯が広がり、秋の風が静かに渡っていた。