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2012/05/13

青森県は仙台からはいかにも遠い。仕事の合間にまわるのはやはり難しく、私にしては緻密?な計画を立てた。

出張前半の宮城県、福島県、山形県南部を回り終えて、出張後半は、仙台、山形、天童、寒河江、村山、新庄、鶴岡、酒田と、2日の行程をなんと1日で回ってしまった。しかし、時間は夜の7時を過ぎてしまっている。

私の緻密?な計画によれば、翌日の夕方に仕事を追えて、夜に津軽半島に向かうはずだった。しかしこれでは翌日の日中、ただ走るだけになりいかにももったいない。そのためこのまま夜中に掛けて、疲れて眠くなるまでとにかく竜飛岬へ向けて走ることにした。結局は行き当たりばったりになった。

この日の仕事も含めると、仙台から山形、酒田、秋田、能代、大館、弘前、そして五所川原ととにかく遠い。しかし行き当たりばったりはいつものこと、仕事が終わった開放感と、初めての地へ出向く高揚感で、結局、五所川原手前の鶴田町まで走りぬけ、着いた先の道の駅では、PCで翌日の行程を確認するだけの余裕すらあった。

右も左も分からない、初めての津軽の地で、翌日訪れる竜飛岬までの行程を考えながら、道の駅で興奮の内に車の中で眠りについた。

2012/05/14

さすがに前日の疲れからか、この日は7時頃に目を覚ました。すでに日は高く上っている。予定からすれば、日の出前に動き始め、日の出の時間には十三湖にいなければならない。すぐに十三湖の臨める、湖岸にあるはずの道の駅に向った。

十三湖までの距離は、まだ30km以上あるはずで、この日の内に、十三湊周辺の安東氏の旧跡をたずね、竜飛岬周辺まで、津軽半島の半分を取材するのが、私が珍しく立てた緻密?な計画だった。

鶴田町から十三湖への途中、「斜陽館」「芦野公園」などの魅力ある案内板がある。その誘惑を頭から振り払いながら、一路十三湖に向かい、この日の最初の予定地の十三湖岸の道の駅に着いた。
この道の駅は、予想と異なり高台にあり、ここからの眺望はよさそうだったが、この道の駅の近くにあるはずの「福島城」が、今回の津軽半島訪問の大きな目的の一つだ。十三湖の眺望に後ろ髪を引かれながら、道の駅からすぐさま福島城の探索を始めた。

道の駅から、探すまでもなく西へ少し下ったところに、「福島城外郭堀跡」の標柱を見つけた。すぐに車を止め、靴紐を締めなおし山中に分け入った。空堀は深く、幅が広く、堅固なつくりだ。長く南に延びる尾根状の土塁をたどり山中に分け入ると、開けた場所に、「外郭門跡」と「井戸跡」の表示板があった。
この福島城は、中世の時代には安東氏が支配していたようだが、それ以前は平泉藤原氏、さらに築城時期までたどれば、先住民のチャシ、それも強大な謎の権力が存在していることが考えられるという。

ひとわたり土塁と堀跡、門跡付近の写真を撮り、その後、西500mの位置にあるという「内郭」を探した。道らしい道はない。藪の中、西へ進んで行くと、堀として使われていたのかもしれないぬかる窪地があり、それをなんとか越えたが、藪はひどくなるばかり。結局それ以上進むのは断念した。
車まで戻り考えたが、どうにも納得が行かない。これだけの歴史を持った城跡が、「外郭堀跡」だけで「内郭」に行けないということはないはずだ。周囲をうかがいながら車をゆっくりと走らせた。

するとありましたよ、「福島城址」の標柱が。なんのことはない、内郭は、国道399号線から入れるのだ。藪をこいで挫折した自分に苦笑しながら細道を進むと、かなり以前に復元されたのだろう城門があった。しっかりと水堀と土塁も見られる。
この福島城址のたたずまいは、姫路城や大阪城などの偉大な石垣の城に負けず劣らずの風格がある。何かがあるわけではない。見方によっては「みすぼらしい」古い復元城門があるだけだ。しかし、そこには、現代の歴史家たちも到達し得ない歴史の深さと、大地に刻まれた確実な痕跡があるのだ。身震いする思いで、城跡を歩き回った。