2012/03/31

 

歴史散策⇒諏訪神社

久慈の市街地から小袖海岸に向う途中に、源義経の北行伝説がある諏訪神社があるはずだったが、行くときには探し探し通ったが見つけられなかった。それが、帰りにはあっさり見つけることが出来た。市街地の中との思い込みがあったようで、実際には市街地から出て海岸に抜け、小袖海岸に向う交差点部にあった。一旦あきらめかけていた諏訪神社が見つかったのも、何かの縁である。雨が降っていたが、通り過ぎるわけにはいかない。

三陸沿岸には、点々と「義経北行伝説」が伝えられている。定説では義経は平泉で自害したことになっているが、いわゆる判官びいきの故か、生きていて北海道に落ち延びたとする伝説が各所に残っている。しかし面白いことに、これらの各地に残る伝説は、時系列的に一つの流れを持っており、またルート的にも流れを持っている。

もちろん伝説がそのまま史実であるとは思ってはいないが、定説はその時代の支配者の側にあるもので、史実は伝説に隠されていることも多いのではないかと考えている。

東北地方においては、平泉藤原氏の時代から鎌倉の時代に、学校の歴史の授業のように、そう簡単に変わったわけではないはずだ。平泉政権のそれなりの正当性を持った人物が逃避したということもありうるし、またその後の平泉勢力による鎌倉勢力への反乱蜂起、また平泉文化と鎌倉文化の軋轢などが義経北行伝説のモチーフになっていることは十分に考えられる。

この諏訪神社の伝説の面白いところは、義経の追手である畠山重忠に関わるもので、伝説の主人公は重忠であることだ。この旅を進めていく内に判ったことだが、この地方には、畠山氏に関わるものがそれなりにある。

この神社の北の海岸は侍浜と呼ばれ、源義経が八戸に向けて船を出した浜だという。私はこの地から、陸路で八戸方面、青森県との境の洋野町に向う。

天気は最悪の状況になりつつあり、夕方まで撮影を続けることは難しい状況のようだ。あせる気持ちで、洋野町に向かった。