岩手県一関市千厩町千厩字摩王…館山公園

震災前取材

 

別名:茶臼館、荒茶館

古くは、蝦夷の城砦の「チャシ」であったと思われるが定かではない。前九年の役の折に、安倍貞任が砦を構え、源頼義、義家父子に抗したと云う伝承が残っている。

「仙台領古城書上」によると、本郭は東西38間、南北24間、二の郭は東西38間、南北27間とあるが、現在は本郭、二の郭の一部は造成されて、公民館、体育館が建てられている。西郭跡が館山公園となり、数段の土壇が確認出来る。

文治5年(1189)、葛西清重が奥州合戦の功により、源頼朝から奥州総奉行に任ぜられこの地を支配した。清重は、家臣の金野義綱に千厩領を与えこの地を治めさせた。金野氏は、義綱以降代々千厩城に居したが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置きによって主家葛西氏が滅び、金野氏も桃生郡深谷で二十五代の金野貞澄が討ち取られ没落した。