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福島県白河市向寺…褜姫神社

震災前取材

  • 皆鶴姫終焉の地
 

源義経の最初の恋人と言われる皆鶴姫の伝説は、静御前の伝説と共に陸奥の地の各所に残る。

この地には次のように伝えられる。

平家全盛の時代、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝の遺臣である吉岡家三兄弟のうち、長兄の鬼一法眼は、京都堀川に住み、兵法家として、中国伝来の兵法書「六韜三略」を秘蔵していた。

源義経はこの「六韜三略」の秘伝を得ようと鬼一法眼の屋敷に度々通っていた。鬼一法眼には、皆鶴姫という美しい娘がおり、いつしか二人は恋仲になった。

義経はなんとかこの秘伝書を入手することができたが、平家の圧迫が激しくなり、金売り吉次と共に京都を脱出し平泉の藤原秀衡のもとに向かった。

皆鶴姫も旅装を整え、恋する義経の後を追った。しかし旅慣れぬ身故に、京都からの長旅で、白河の地で病を得た。この地に辿りつき、宿もなく、雨露を防ぐ術もなく、旅の衣を傍らの楓の木に掛け横になり快復を待った。里人はこれを手厚く看護したが、その甲斐もなくこの地で息を引き取った。

この旅の衣を掛けた「衣掛の楓」は近年まであり、皆鶴姫の泪が注がれるためか春や秋に、晴天の時でもこの樹の辺りだけは、なぜか時雨が降ることから「時雨の楓」ともいわれていた。

姫の懐中に梅の実があり、里人はこれを遺品として植えたところ、梅は「八房の梅」で、花を咲かせ実を結んだという。里人はこれを大事に育て、この地に社を建て供養したと伝える。