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秋田県の大館は、忠犬ハチ公が生まれた地で、古くから秋田犬の産地として知られている。JR大館駅前をはじめ、市街地各所に、秋田犬の像が建てられている。また、近年、ロシアのフィギュアスケート選手アリーナ・ザギトワに贈られたことでも話題になった。

秋田犬の祖先犬は、「秋田マタギ犬」と呼ばれる山岳狩猟犬である。元来、中型か中型よりやや大きい程度の熊猟犬であった。大館地方ではかつては闘犬が盛んで、体が大きく強い犬を望む人々の手によって、マタギ犬と土着犬などの交配が行われ、秋田犬の原種となった。

がっしりとした体形で、三角の立ち耳、クルリと巻いた巻き尾が特徴で、闘犬や狩猟犬として改良・飼育された経緯から、高い身体能力を備え、力も強い。飼い主に非常に忠実であることから、忠犬ハチ公をはじめとしたエピソードが多く残る。

大館市内には、そのような秋田犬を祀る老犬神社があり、次のような話が伝えられる。

江戸時代の中ごろ、南部領の草木(現在の鹿角市十和田草木)に定六というマタギがいた。定六の先祖は、源頼朝の富士の巻き狩りの際の目覚しい働きによって、全国通用の子孫永久マタギ免状巻物を頼朝から拝領し、代々相伝している家柄だった。

定六はシロという子牛ほどもある猟犬を飼っていたが、ある雪の朝、定六はカモシカを見つけ、シロと共に追いかけているうちに、いつの間にか三戸城内に入り込んでしまった。定六は、不運にもこのときいつもは身に着けている巻物を持っていなかったために、捕らわれてしまった。

シロは、主人の危機を察し、もと来た道をひたすら走り家に引き返し、家にあった巻物を口にくわえ、再び主人のもとに走り続け三戸城に戻った。しかし定六はこのときすでに処刑されていた。シロは主人の遺体をくわえて三戸城の見える森に運び、幾夜となく恨みの遠吠えをしたと云う。その後、その地は犬吠森と呼ばれるようになった。

定六の死後、妻は所払いにされ、シロとともにこの十二所の葛原に移り住んだが、犬はその後食を採らず、まもなく姿が見えなくなった。しばらくして近くの山腹で、白骨となっているのが発見された。

その後、その下の津軽街道を武士が通ると、馬が狂奔し落馬することが度々起こった。また三戸城下に大地震が起こり、定六に処罰を下した代官も牢番もみな死んでしまった。これはシロの怨念のなせることと噂になり、村人たちはシロの霊を慰めるために、葛原山腹の老犬神社に祀った。

その後、老犬神社がある山腹から、きれいな清水が湧き出るようになった。この清水を引いた田んぼには害虫が出ないとされ、村人たちは、シロを祀ったことに対し、シロが感謝しているのではないかと噂した。

子孫永久マタギ免状巻物は、老犬神社の宝物として保管されていたが、巻物は、明治時代に盗難にあい、花輪方面から出た際には、集落の人は米を出し合って取り戻し、現在は神社の別当が今も保管しているという。