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昨日の日暮れまでに津軽半島を概ね周り終え、日が落ちてから一気に八幡平市まで走り宿をとった。この日は、八幡平市から盛岡周辺をまわり仙台に戻る予定で、帰り道ということもあり、特段の予定もない行き当たりばったりの従来通りの気楽な旅だった。それでもどのようなものに出会えるか、好奇心一杯で、日の出とともに国道282号線を少し北に戻り最初の訪問地を目指した。

八幡平市には「長者伝説」が多くあり、その中に「長者屋敷清水」という伝説の清水があるはずで、まずはそこに向った。長者伝説はどちらかというと昔話的なイメージで、たわいないものが多いように感じるが、「長者」とは一体なんなのかと考えると極めて奥が深い。

私の勝手なイメージでは、「長者」は近世のものではなく、奈良時代から鎌倉時代のもののような感覚でいる。またそこに歴史的な事実があるとは思えないものが多いのだが、中には歴史的な事実を伺わせるものもままある。かといって、「歴史的事実」を証明できるようなものはほとんどなく、これからも出てくることはまずないだろう。

国道282号線を西に入り、奥山に分け入るように入って行くと、高速道路の高架の少し手前にその「長者屋敷清水」があった。この地は、この地域の方々の自慢の伝説の地のようで、きれいに公園として整備してある。そして大きな説明板もある。どうやらただの清水ではないようだ。

私は、前知識としては「豆渡り長者」の伝説の断片しか知らなかった。しかしこの「長者屋敷」とは、縄文から平安時代に掛けての遺跡で、この地に伝わる「豆渡り長者」こそが東北の英雄のアテルイであるという。

この地は各地に伝説を伝える、悪路王、高丸、武丸、竹丸と様々に伝えられる「鬼」の源流ということになる。とたんに歴史好きのスイッチが入った。穏やかな昔話の世界と思っておとずれた清水が、各地で血みどろのレジスタンスを行ったと伝える東北の英雄アテルイの「聖地」だというのだ。

私は、長く中央の巧妙な収奪の中にあった東北の歴史の真実は、伝説の中にこそあるのではと思っている。教科書にある歴史は中央史観であり、それらの「定説」を史実として、各地の伝説が切り捨てられて良いものではない。

悪路王やその一族の伝説は、まがまがしく、そして一様に悲しいものが多い。それでも古代の中央の勢力が比較的弱かっただろう北奥羽には、今も悲しく伝えられている。それらの悲しい「鬼」達に、少しでも光を当ててやりたいものだと改めて思った。

長者屋敷清水から平館城跡に登り、田頭城跡を訪れた。これらの城は、同じ八幡平市内で3kmほどの位置にあるが、九戸の乱の際には敵味方に別れ争った城だ。田頭城は、思ったよりも大きな山城で、三方は川で囲まれ、残る一方には水堀をまわしたかなり堅固なつくりだったようだ。まだ朝の日差しが残る中、頂上に向って登っていくと、数段の郭跡らしい地形が見られる。最高部に主郭の平場がある。

主郭跡はきれいに整備され、地域の方々が建てたと思われる説明板がある。どこでも地域の方々が建てた説明板は面白い。その方々が、その史跡にどのような思い入れをしているのか如実に現れる。定説となった史実のみを無難に書いていることが多い市や町の公的な説明板より、歴史に人間臭さがあらわれよほど面白い。

主郭の平場は南北に二つに分かれ、その間は空堀が切られ区画されている。その奥まった北側の郭のさらに奥が一段高くなっている。物見台なのだろうとそこに登り巨岩の上に立ち驚いた。広々と眺望が開け、眼前に岩手山が威容を現わした。この城の北方の物見はもちろんだが、岩手山の威容は、ここに立つ者を気宇壮大な気持ちにさせる。しばし岩手山の姿を楽しみこの地を後にした。

田頭城を後にして盛岡方面に国道282号線を南下した。昨日は一日中小雨交じりの天気だったが、この日は朝から晴れている。岩手山も昨日の雨の名残の雲が頂上付近にかかってはいるものの、その美しい姿を見せている。

この日の予定は特に定めてはいなかった。盛岡近辺の取材箇所はたくさんあるが、この日どこをどのように回るかは決めていなかった。取り合えずどこに行くかあれこれ考えながら走っていると、「焼き走り溶岩流」の案内板が視角に飛び込んできた。「歴史散策」のテーマからは少し外れるかもしれないが、地元の方々が自慢に思う光景がそこにはあるはずで、スルーすることはできなかった。

国道から西に折れる。「焼き走り」は、この地の観光の中心を占めているようで道路は立派だ。新緑の中、岩手山の雄姿を正面にして走るのは快い。5、6kmほど走ると駐車場があり、資料館がある。その様子を見て少し安心した。というのも、観光地として多くの観光客を集めようとするため、美しい自然の中に、妙な観光施設やお土産屋などがならび、折角の観光資源を台無しにしてしまっているところもあるからだった。

駐車場に車を停めて、靴紐を締めなおしカメラを持って案内板に従って溶岩流の台地に上がった。黒々と、荒々しく溶岩流の台地が広がっている。その先はるかの山の中腹に、これらの岩石を溶岩として真っ赤に噴出したのだろう火口らしきものが見える。山頂の雲の動きは早く、岩手山は刻々とその姿を変えている。
しかし黒々とした溶岩流の台地は死の世界ではなかった。捻じ曲がりひねた様に曲がりくねった小さな潅木や、黒いごつごつした岩にへばりつくコケが、一時は死の世界となったこの台地に生命をもたらしている。

遊歩道は歩きやすいように大きな岩をのぞいてはあったが、トレッキングシューズの厚い靴底にも突き刺さってくるような感触だった。当初は、溶岩流の台地から岩手山を撮影するだけと考えていたのが、台地に健気に葉や小さな花をつけている生命を辿る内に、結局一周してしまった。

この後、帰り道の国道4号線沿いに、盛岡市の南部利直の墓など、花巻まで数ヶ所をのんびりと訪問し、充実感の中、夜道を仙台まで走った。