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イザベラ・バードは、イギリスの女性旅行家で、1894年から1897年にかけて、4度にわたり末期の李氏朝鮮を訪れて『朝鮮紀行』を書いた。当時の朝鮮の風俗、社会、政治情勢などを知ることのできる一級の歴史的資料でもある。

イザベラは近代化前の朝鮮を描いた「朝鮮紀行」では、町の不潔さ、人々の怠惰さ、両班の強欲さについて、多くの記述が見られる。その中には、イギリス人のアジアに対するいささかな偏見は見られるものの、1878年の日本の旅行記である「日本奥地紀行」を見れば、その記述は当を得たものであることが分かる。

政治的なものにはあまり触れてはいないが、ロシアや日本の外圧により、近代化が始まっている地域もあり、「朝鮮人というのは屑のような民族でその状態は望み無しと考えていた」がその考えを正すべきかもしれないと記述している。

ここではそれらの記述から抜粋して、当時の朝鮮半島の写真と併せて掲載する。

【ソウル】
わたしは昼夜のソウルを知っている。その宮殿とスラム、ことばにならないみすぼらしさと色あせた栄華、あてのない群衆、野蛮な華麗さという点では、ほかに比類のない中世風の行列、人で混んだ路地の不潔さ、崩壊させる力をはらんで押し寄せる外国からの影響に対し、古い王国の首都としてその流儀としきたりとアイデンティティを保とうとする痛ましい試みを知っている。…
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は立てられず、したがって推定25万人の住民はおもに迷路のような横道の「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家家から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで挟められている。
悪臭ふんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子どもたち、疥癬持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げ回ったり、ひなたでまばたきしたりしている。

【朝鮮人】
貧しさを生活必需品の不足と解釈するなら、漢江流域の住民は貧しくない。自分たちばかりか、朝鮮の慣習に従ってもてなしを求めてくる、だれもかれもを満たせるだけの生活必需品はある。負債はおそらく全員がかかえている。
借金という重荷を背負っていない朝鮮人はまったくまれで、つまり彼らは絶対的に必要なもの以外の金銭や物資に貧窮している。彼らは怠惰に見える。わたしも当時はそう思っていた。
しかし彼らは働いても報酬が得られる保証のない制度のもとで暮らしているのであり、「稼いでいる」とうわさされた者、たとえそれが真鍮の食器で食事をとれる程度であっても、ゆとりを得たという評判が流れた者は、強欲な官吏とその配下に目をつけられたり、近くの両班から借金を申し込まれたりするのがおちなのである。

【両班】
朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在があるからである。
両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥とはならず、妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。
両班は自分ではなにも持たない。自分のキセルですらである。(中略)慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、おおぜいのお供をかき集めれるだけかき集めて引き連れて行くことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、
伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して買っている鶏や卵を奪い、金を払わない。
(中略)非特権階級であり、年貢という重い負担をかけられているおびただしい数の民衆が、代価を払いもせずにその労働力を利用するばかりか、借金という名目の無慈悲な取り立てを行う両班から過酷な圧迫を受けているのは疑いない。商人なり農民なりがある程度の穴あき銭を貯めたという評判がたてば、両班か官吏が借金を求めにくる。これは実質的に徴税であり、もしも断ろうものなら、その男は偽の負債をでっちあげられて投獄され、本人または身内の者が要求額を支払うまで毎朝鞭で打たれる。(後略)

【言語】
朝鮮の言語は二言語が入り混じっている。知識階級は会話のなかに漢語を極力まじえ、いささかでも重要な文書は漢語で記され、ハングルは、教養とは漢籍から得られるもののみとする知識層から、まったく蔑視されている。
政治、法律、教育、礼儀、社交、道徳における清の影響は大きい。これらすべての面において朝鮮はその強力な隣国の貧弱な反映にすぎない。

【住居】
狭くて汚い通りを形づくるのは、骨組みに土を塗って建てた低いあばら屋である。窓がなく、屋根はわらぶきで軒が深く、どの壁にも地面から2フィートのところに黒い排煙用の穴がある。家の外側にはたいがい不規則な形のみぞが掘ってあり、個体および液体の汚物やごみがたまっている。

「朝鮮人には独特の処罰方法があって、役所の雑卒が容赦のない笞打ちを行い、罪人を死ぬほど打ちすえる。」
「景観は緑が少なく単調である。果樹とひょろひょろの松以外に樹木はない。姿形の美しさもまったくなければ、景色になんらかの風格を与えてくれる門や塀といった排他のしるしもなにひとつない。」
「ソウルの宮殿とスラム、ことばにならないみすぼらしさと色褪せた栄華、あてのない群衆、野蛮な華麗さという点ではほかに比類のない中世風の行列、人で込んだ路地の不潔さ」
「北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興〈シャオシン〉へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていた」
「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民はおもに迷路のような横町の地べたで暮らしている。」
「路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。」
「ソウルの「風光」のひとつは小川というか下水というか水路である。ふたのない広い水路を暗くよどんだ水が、かつては砂利だった川床に堆積した排泄物やごみのあいだを、悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。水ならぬ混合物をひしゃくで手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯をしている貧困層の女性の姿に、男ばかりの群衆を見飽きた目もあるいは生気を取りもどすかもしれない。」
「犬はソウル唯一の街路清掃夫であるが、働きはきわめて悪い。また人間の友だちでもなければ、仲間でもない。飼い犬といえどほとんど野犬にひとしい。若い犬は春に屠殺され、食べられてしまう。」
「ソウルには芸術品はまったくなく、古代の遺物はわずかしかないし、公園もなければ、国王らが町中を行進する儀式以外に、見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もないし、いまだに迷信が影響力をふるっているため墓地もない」
「朝鮮人の受け入れる宗教は、努力せずに金を得る方法を教えてくれる宗教である。無関心がはなはだしく、宗教的機能が欠如しており、興味をそそられる宗教理念が皆無で、孔子の道徳的な教えはどの階級にもたいして影響をおよぼしていない。」
「通貨は、当時公称3200枚で1ドルに相当する穴あき銭以外になかった。この貨幣は数百枚単位でなわに通してあり、数えるのも運ぶのも厄介だったが、なければないでまたそれも厄介なのである。10ポンド分の穴あき銭を運ぶには6人の男か朝鮮馬一頭がいる。」
「朝鮮人は怠惰に見える。わたしも当時はそう思っていた。しかし彼らは働いても報酬が得られる保証のない制度のもとで暮らしているのであり、「稼いでいる」とうわさされた者、ゆとりを得たという評判が流された者は、強欲な官吏とその配下に目をつけられたり、近くの両班から借金を申しこまれたりするのがおちなのである。」
「役所の門内には、朝鮮の庶民の生き血をすする者たちがおおぜいいる。チロリアンハットに青色の粗織り綿の制服を着た兵士、わんさといる雑卒、書記、警官、送達吏がただいま仕事中のふりをしているし、数ある小部屋ではさらに多くの男たちがすずりや筆をそばにおいて床にすわり、長いキセルでたばこを吸っている。」