2015/07/25 宮城県仙台市青葉区

 

歴史散策⇒仙台城址

この大手門跡には、現在は隅櫓が復元されている。仙台城の中では、数少ない「絵になる」場所である。

ここにあった大手門は、伊達政宗が名護屋城の大手門だったものを移築したものと伝えられていたが、終戦間近の仙台空襲により、隅櫓とともに焼失した。

この大手門は、これまで幾度か復元の話が出ているが、この地を通り本丸の石垣脇から八木山に抜ける仙台市道が、生活道路として定着しているために、なかなか実現できないでいる。それでも何とか隅櫓だけは復元され、仙台城の「顔」として孤軍奮闘している感がある。

仙台は、戦災で古い建物の多くが焼失したからだろうか、盛岡や山形など、他の県庁所在地と比較して、地元の古いものや地元への思い入れが小さいような感じがしてならない。 大手門の復元など、確かに難しい問題は多い。しかしそれはいづれの都市も同じだと思うのだが。やはり仙台は、行政や政治家の熱意を持って突破する力や、それを支える地元民としてのプライドが少ないように感じる。

この大手門や、本丸御殿などが復元されれば、大きな経済効果がもたらされることは明らかだ。それよりなにより、地元の子供たちの、地元に対する愛着やプライドが増大することが、今後の仙台に対し大きな資源となるだろう。

それでも、二の丸石垣は、あれほどの大地震にもびくともしなかったようだ。この石垣を組み上げた古い時代の石工たちを心の中で称え、気になっている「扇坂」に向かった。