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山形県金山町有屋

2015/09/14取材

 

日輪舎は、昭和13年(1938)、茨城県内原町にあった満蒙開拓青少年義勇軍訓練所に、宿舎と教室を兼ねた建物として多数建設され、各地にそれを模した建物が建てられたことに始まる。

木造1階ないし2階建ての円形の建物で、日輪兵舎とも呼ばれ、標準形でおよそ60人を収容でき、建築の素人である訓練生が、自力で建てられることを念頭に設計されており、建設費用も抑えられていた。円形であるため建物に方向というものがないことは、部材の単純化にも役立ち、60人でかかれば、1日で日輪兵舎1棟を建てられたという。

この日輪兵舎は、円筒の建物に円錐の屋根という独特な形状から広く知られるようになり、全国に約80カ所で確認されている。主に農業学校の校舎や開拓研究施設として利用された。

この地の「日輪舎」は、岸農産育成会が満洲へ渡る青年に農業訓練を施す目的で、昭和18年(1943)に開設した神室修練農場の、教室兼寄宿舎として建てられた。中央の土間を囲んで、板敷き空間2層を配置する構造は内原と共通するが、軒高は高く、建物の直径も大きかった。

戦後は農場の作業小屋として使用され、タバコの葉の乾燥などにも用いられたが、現在はリクリエーション施設のイベント会場となっている。