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宮城県東松島市矢本字上舘下

震災前取材

この地にあった大槻が「矢本」の地名の由来になったと伝えられる。

文治5年(1189)、源義経は、藤原泰衡の奇襲攻撃を受けて衣川の館で自刃して果てた。その時、義経は愛鷹8羽を放し逃がした。それらの鷹はこの地に飛来し、当時この地にあった大槻に棲みついた。

古く鷹を数える場合は、「大鷹一本(ひともと)」などと数え、この地に飛来した鷹は「八本(やもと)の鷹」であり、この地は始め「八本(やもと)」と呼ばれたという。「八本」は後に、「谷本」「矢本」に変化したものと云われている。

現在の槻の木は、昭和47年(1972)若木を代植したものである。