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福島県白河市大工町…皇徳寺

  • 戊辰戦死人供養碑
 

戊辰戦争では、奥羽の入り口に当たる白河は西軍と東軍の激戦の地となった。白河城下の 各所で戦闘が行われ、この地周辺でも戦闘が行われ、東軍側に多くの戦死者が出た。

東軍の戦死者は、野ざらしにされ、葬ることは許されなかった。しかし、中町の大庄屋の桑名清兵衛はこれを見かねて、付近の手代町、大工町等に骸をさらしていた東軍戦死者11名を合葬し、 その後供養碑が建立された。

また、この地には新撰組隊士の菊地央(たのむ)の墓もある。新撰組は鳥羽伏見の戦いから各所で戦い、この白河口の戦いでも、慶応4年(1868)閏4月から5月初旬まで白河で戦い、その後も数度に渡り白河周辺に出陣し戦った。

菊地央は元津軽藩士で、弘化4年(1845)生まれで、慶応3年(1867)6月頃に新撰組隊士となった。翌慶応4年(1868)4月25日の白河口の戦いで、22歳の若さで戦死した。