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秋田県湯沢市皆瀬字湯元

2016/07/29取材

 

不動滝は滝の沢地区の「不動滝ほたるの里公園」の奥に懸かる。滝の周辺は橋や遊歩道が整備され初夏にはほたるが飛び交い、滝の上には滝沢不動堂が祀られている。公園内にはゲンジボタル増殖実験施設がある。

湯沢市岩崎に伝わる能恵姫伝説によると、栄が淵で大蛇と暮らしていた能恵姫が、鉱山からの毒水を避けるため皆瀬川を上りこの不動滝にたどり着いた。しかしこの地には既に龍が住んでいたため、やむなく北東方向の赤滝に移り住んだという。

また、不動滝で修行した住職は、龍を使い雨を降らせる術(神通力)を会得し、唐のお寺(中国の金山寺)の大火災を鎮火させたと言い伝えられています。このためか、不動滝の滝つぼに石を投げると雨が降るという言い伝えが残っている。

藩政期には、この滝の近くの子安温泉に、秋田久保田藩の武士や藩主が立ち寄ることがあり、秋田藩第九代藩主佐竹義和が子安温泉に立ち寄った際に、この不動の滝の見事さに歌を詠んだ。

飛び散りし 水の白玉 わきかへり 峰より高く 落つる滝津瀬

この歌は、小安温泉碑として、天保12年(1841)、薬師堂の近くに建立された。

また菅江真澄もこの地を訪れ、この峡谷を絵におさめている。

戊辰戦争の際には、秋田久保田藩は奥羽越列藩同盟を脱盟し、新政府側についた。慶応4年(1868)7月には、この小安口からは仙台藩兵1千人が侵攻した。列藩同盟軍は、久保田城に迫る勢いだったが、9月には東北諸藩の降伏が続き、列藩同盟軍は撤退、仙台勢は9月19日この地を通り仙台への撤退を余儀なくされた。この退却の途中、大砲や砲弾を不動滝に投げ入れたと伝えられ、実際にその後不動滝の滝壺から砲弾が発見されている。