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サンファンバウティスタは、平成4年(1992)に起工され、翌平成5年に進水した。全長55.35メートル、全幅11.25メートル、吃水約3.8メートルのガレオン船である。平成8年(1996)に石巻市渡波に開館したテーマパーク「宮城県慶長使節船ミュージアム」(サン・ファン館)に係留・展示された。

しかし、平成23年(2011)3月の東日本大震災では、押し寄せた津波が復元船の周囲を囲むドック棟を呑み込み、建物を破壊して展示物の多くを流失させた。それでも復元船は津波を乗り越え、外板の一部破損で済んだが、同年4月の暴風により、フォアマスト(28メートル)が根元から折れ、メインマスト(32メートル)は上部3分の1ほどから折れた。これも修復し、再び係留・展示された。

しかし、平成28年(2016)の調査で、東日本大震災の津波の影響で船体が歪んでいることが判り、また主要な部材やマストに腐食が進行していることがわかり、船内への立ち入りは禁止され、その後に解体することが確定した。ここでは、このサン・ファン・バウティスタの解体を惜しみ、保存版として最後に撮りためていた震災前の写真を一挙アップする。

サン・ファン・バウティスタは、スペインの「ガレオン船」をモデルとして仙台藩が建造したもの。その船体を黒く塗っていたことで「伊達の黒船」とも呼ばれたと言う。全長55m、幅11m、高さ40m、排水量500tで、当時の日本では、超大型船だったと言え 、世界でも最大級の木造帆船だった。


この伊達の黒船(サンファン・ヴァウティスタ号)は、石巻市雄勝町で建造されたと言われている。 雄勝には伝承、痕跡が豊富に存在し、小淵と呉壺がその比定地と考えられている。サン・ファン・バウティスタは、当時の日本では超大型船であり、船底が平底の和船とは異なり、喫水も深い。このような船の建造には、「船渠」 (ドック方式) の造船工法が必要で、この「ドック方式」の可能な条件をこの雄勝は満たしているという。

  • 前面の海が深く、遠浅でないこと
  • 周囲が山で囲まれ風の影響を受けにくい
  • 船を押し出す流量、流速を確保できる河川が存在する
  • 木材が入手しやすい地理的条件を有している
  • 比重が重く、加工が可能なバラストが付近で採取できる

などがそれにあたるという。

このサンファン・ヴァウティスタ号建造については記録が非常に乏しい。これは恐らく当時、すでに切支丹禁令が出ており、遣欧使節が戻ってきたときには、伊達藩も切支丹に対しては過酷な処分を実施せざるを得ない状況だった。また大船の建造も禁止される方向にあった。このような状況が、サンファン・ヴァウティスタ号の建造の記録が少ない理由だろう。

伊達政宗は、徳川家康の許可を得て、欧州へ使節を派遣することにした。この当時、家康はキリスト教を警戒しながらも、海外との貿易は行おうとしていた。遣欧使節の主目的は、仙台藩とスペインの通商交渉であったと言われ、それは伊達政宗と徳川家康の共通した思いだったと考えられる。

しかし、この当時、伊達政宗はまだ天下への野望を捨てていなかったと思われ、政宗の目的は家康とは少し異なっていたように思われる。政宗の目的は、ガレオン船の建造技術とその操船技術を得ることであり、またそれよりも何よりも、当時チリで産出されていた、火薬の原料としての良質な硝石をスペインとの貿易により得るためと、メキシコは当時金銀が産出し、その鉱山技術と精錬・冶金技術が日本には魅力だったからとも言われている。それらは、政宗の野望にとって重要なものだったと思われる。

ガレオン船の建造技術は、スペインの最高機密とされていたが、スペインからの使節として日本に滞在していたセバスティアン・ビスカイノの協力によって建造された。政宗はルイス・ソテロを外交使節の正使に、家臣・支倉常長を副使に任命し、ソテロや常長を中心とする一行180余人をメキシコ、スペインおよびローマへ派遣した。

支倉常長ら一行は現在の宮城県石巻市にある月ノ浦を慶長18年(1613)10月28日に出航、遠くスペイン、ローマに向かった。この慶長遣欧使節が乗り込んだ船は、スペイン側の記録ではサン・フアン・バウティスタ号(洗礼者聖ヨハネという意味)とよばれ、総勢180人あまりを乗せて船出した。

サンファンバウティスタ号は黒潮に乗って、北米はカリフォルニアのメンドシノ岬に到達した。のち海岸沿いに航行、翌慶長19年1月に、最初の目的地であるメキシコのアカプルコに到着した。

支倉常長らは、ローマに向い、ローマでは常長の高潔な人柄がほめたたえられ、常長は貴族の位を与えられ、彼をはじめとする8名にローマ市公民権が授与された。

しかし、日本の切支丹への迫害弾圧や、ヨーロッパのキリスト教の会派の勢力争いなどのために、スペインとの貿易交渉は難航し、当初の目的を達することはできなかった。