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中国軍と北朝鮮軍は、国連軍の最新兵器に対し、政治犯の部隊を前線に弾除けとして使うなど、人命を度外視した人海戦術を続けていたが、度重なる戦闘で、本隊の古参兵の多くも戦死し、補給線も延び切ったことで攻撃が鈍り始めた。それに対し、ようやく態勢を立て直した国連軍は反撃を開始、3月14日にはソウルを再奪回したものの、戦況は38度線付近で膠着状態となった。

この時期になると、韓国も北朝鮮も、すでに戦闘力は失われており、実質的にはアメリカを中心とした国連軍と、中国とそれを後押しするソ連との代理戦争の様相を濃くしていた。制空権をめぐっては、ソ連が最新鋭のジェット戦闘機のMiG-15を投入すると、アメリカ軍も最新鋭ジェット戦闘機のF-86Aを投入し、それぞれが最新兵器を投入しての物量戦になっていった。

アメリカのトルーマン大統領は、停戦を模索していたが、共産主義勢力の台頭に強い懸念を持っていたマッカーサーは、「中華人民共和国を叩きのめす」との声明を政府の許可を得ずに発表、38度線以北進撃を命令した。またマッカーサーは、満州の工業インフラを爆撃するなどの、中国本土にまで戦線を拡大することを考えており、また核攻撃なども考えていた。しかしこれは、戦闘状態の解決を模索していた国連やアメリカ政府中枢の意向を無視したもので、トルーマン大統領は、4月11日にマッカーサーをすべての軍の地位から解任した。

1953年、結局38度線近辺の板門店で北朝鮮、中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、3年間続いた戦争は一時の終結をし、休戦のまま現在にいたっている。しかし「北進統一」に固執する李承晩大統領は、この停戦協定を不服として調印式に参加はしなかった。

朝鮮戦争による犠牲者数は、南北朝鮮人だけで、兵約192万人、民間人約343万人で、これは当時の6人に1人が死んだことになる。そして民間人の犠牲者が圧倒的に多いのは、韓国、北朝鮮双方による、非武装住民の虐殺、粛清によるものだ。また中国人も兵と民間人合わせて90万人もの犠牲を出し、国連軍も約15万人が犠牲となった。

この小さな半島全体を、戦線が南北に振り子のように揺れ動いたことにより、朝鮮の国土は荒廃し、多くの人命が奪われた。そしてそれは、「国土完整」を唱える北朝鮮の金日成と、「北進統一」を唱える韓国の李承晩の、権力への妄執によるものだった。またそれを、自ずからの責任と力により解決するのではなく、他力本願に他国を利用しようとする事大主義的な国民性が、事を必要以上に大きくしてしまったのだろう。さらに悪いことに、同一民族であるとしながら、互いを力で併呑しようとしたが、同じ民族として共有する誇りも文化もなく、ただ右派と左派に分かれて、憎しみあい、殺し合い、奪い合い、騙しあい、暴虐の限りを尽くした結果が、非武装住民の圧倒的な犠牲者の多さにつながったと思われる。

一般的には、朝鮮戦争は、中国、ソ連の共産国と、資本主義国のアメリカの代理戦争と言われているが、実際には全く逆のように思われる。つまり、北朝鮮の金日成と、韓国の李承晩が、国力を考えもせずに、自ずからの権力志向のためだけに行った、同朋虐殺がその内実である。アメリカや中国、ソ連は、表面的に南北が属していた、左派と右派の名目の中に巻き込まれ、その後の冷戦の枠組みが作られていった。

韓国の李承晩は、ソウルが攻められると、戦いの最中にある兵士や、ソウル市民を置き去りにしたまま漢江橋を爆破させ、われ先に逃げ出した。逃げる先々では、左派による内乱を恐れ、非武装住民を殺しまくった。自分は在韓米軍基地に避難しながら、優勢になると見るや、誰よりも目立とうと先頭に立ち、連合軍としての規律を無視して大韓民国軍部隊を勝手にソウルに先行させソウルに戻った。38度線を越えての北朝鮮への逆進攻が行われたのも、李承晩の独断専行だった。

北朝鮮軍も、補給線や兵の損耗など考えることもなく、補給品や兵の調達は現地調達で、進軍する先々で、略奪暴行強姦を繰り返し、抗う者は人民裁判にかけて殺戮しまくった。金日成は、その後国連軍の反攻により平壌が危なくなると、いち早く中国に亡命してしまった。そして李承晩は軍の指揮権をアメリカ軍に預け、金日成は中国軍に預け、実質的に亡国の指導者となり、冷戦構造を作り上げてしまった。金日成は、李氏朝鮮時代と同様の、金王朝を作り上げ、その王朝は、実質的な「両班政治」を今も行っている。李承晩は、戦後も、反共による恐怖独裁政治を敷き、終身大統領として君臨することになる。

両国ともに、この朝鮮人大虐殺の戦犯と言える金日成と李承晩を、ともに「建国の父」としている様にはあきれるばかりで、「歴史を見ないものに未来はない」と言っておこう。