前日は、「厩石」の後に、国道280号線沿いに、写真が撮影できるぎりぎりまで動き回り、なんとか平館の道の駅までの予定箇所はほぼ回り終えた。道の駅に着いたときにはとっぷりと日は暮れ、その日は道の駅での車中泊となった。
この地は、津軽半島の東岸にあたり、下北半島が間近に見えるはずだった。朝には、下北半島から上る日の出も期待できた。途中仕入れたおにぎりを食し、翌日のルートを考えながら、久方ぶりの開放感と爽快感の中でぐっすり寝入った。
翌日目覚めると、小雨が降っている。期待していた下北半島からの日の出は無理なようだ。それでもまだ薄暗い中海岸に出てみると、松林の中に、妙な塚状や土塁状の地形が見られる。まだ日の出前の薄明かりの中で、松林をぐるっとまわると、標柱がある。「平館台場」とあった。砲台跡だ。それもほぼ完全な形で残っているようだ。朝一番から、予定外のめっけものだ。
なんとか写真撮影ができる明るさになり、すぐに車外に出て説明板を見ると、寛政年間の津軽藩の砲台跡である。偽装の松林をぐるりと囲むように土塁がまわり、塚と見えたのは、その土塁を切った砲口だった。
当時は、ロシアが南進政策をとり、ロシア船が度々日本の近海に出没していた時期で、林子平が「海防論」などを著していた時期に当たる。特に、この津軽海峡近辺はロシア船が多く出没していたと考えられ、ほぼ完全な形で残っているこの「台場跡」は、当時の緊張感を伝えている。
朝から小雨模様で、一日このような天気が続くようだ。しかし朝一番に、予定していなかった「平館台場」に「遭遇」し、気分は上々だった。外ヶ浜町の伝説の地など訪ねながら、国道280号線を青森方向に南下した。
途中から県道を西に入り旧金木町に抜ける予定だったが、途中、何度か「三内丸山遺跡」の案内表示が出ていた。距離的には20km程度で、さほどの距離ではない。しかし今回は、いやなことに「綿密な」計画のもとに動いており、この誘惑を払うのには結構な努力が必要だった。
「鹿の子滝」を過ぎ、金木の市街地に入る手前を北に折れ、東へ戻るように「十二本ヤス」に向けて車を走らせた。「十二本ヤス」は、魔物伝説を持った「名木」である。地図では、「十二本ヤス」の地には神社の地図記号が記されており、約5kmほど戻ることになる。
初めての道は長く感じる。集落もなくなり、道も舗装は切れ、林道のような道に入り、山中深く入って行く。神社があるにしては人里を離れすぎており、心細くなりかけると、突如山すそに鳥居が出現した。道脇には、小さな表示板があり、1、2台分の駐車スペースもある。訪れる者もそれなりにあるようだ。
早速山道を登っていくと、坂道の上に巨木が現れるが、特段変わったものではない。その巨木のわきまで登ると、その先に、異形のさらなる巨木が現れた。巨大な幹から枝分かれした太枝が、天を突くように高く伸びている。根元の幹と枝の中に、祠を抱き、枝にまとわりついているのは宿木だろうか、まさに山の魔神の風格だ。
現代の人々は、時に自然に対する畏怖の念を忘れがちである。それが、今回の大震災の際の原発事故の原因の一つと私は考えている。この偉大な「山の魔神」に手を合わせた。
金木町の斜陽館や芦野公園などを一通り歩き回り、進路を北にとり中泊町の中里城跡に向った。時間は午後2時を過ぎており、天気は小雨交じりで日の光は弱く、日没ぎりぎりまで撮影できた昨日のようにはいかないようだ。それでも中里城跡は是非訪れたいと思っていた。
中里城は、縄文時代から中世の時代まで使われた防御的集落ということだ。北奥羽は、恐らくは大和朝廷の支配が及ばない、あるいは弱かったためだろう、古代の伝承や史跡が多く残り、それだけに謎が多い地域だ。しかしまたそれだけに魅力ある地域である。
中泊の町役場の北側の台地がその地らしく、この地域の公園になっているようだ。城跡に上っていくと、中世の山城のような段郭状の地形が見られる。
台地の上に立つと、そこには土塁が残り空堀が残っている。説明板によると、それらの防御的遺構の多くは平安時代後期のものらしい。時代は中央では平家全盛時代から衰退に向う時代である。その時期、この地域に何があったのか。
中央の動向とはまた別に、この地には未解明の動乱があったことが推測される。それはもしかすると、古代の物部氏や安倍氏の残存勢力と、当時の新興勢力の平泉藤原氏との争乱かもしれない。いずれにしても、中央の争乱とはまったく違った様相の争乱があったことが考えられる。
残念ながら、それらがどのようなものだったのかは未解明のものが多いのだろう。しかし、この地の遺構には、古代の人々の息吹が感じられた。物見櫓があったと思われる公園の奥まった一画には、この地の方々の思い入れだろう、ささやかな展望台があり、はるか蝦夷地に通じる十三湖が見渡せた。
日暮れまでに津軽半島を概ね周り終えた。津軽半島から仙台まで帰るのはさすがに遠い。日が落ちてから一気に八幡平市まで走る予定だった。暗がりの中、間近の「三内丸山遺跡」をスルーし、八幡平市に車を向けた。
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