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青森県深浦町深浦

 

円覚寺は大同2年(807)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征討の際に、聖徳太子の作の十一面観音像を安置し、観音堂を建立したのが始まりと伝えられる。その時、田村麻呂が兜の中に納めていたと伝えられている仏像が、今も保存されていると云う。

その後、清和天皇代の貞観10年(868)、修験道を奉じて諸国の霊山を遍歴していた円覚法印がこの地に到り、観音堂を再興した。

円覚寺はその時々の豪族の庇護を受け、堂宇の建立、修復をしてきた。古くは、平泉の藤原基衡、室町時代には葛西伊予守頼清が堂宇を再建している。

江戸時代には津軽藩の祈祷所となり、藩祖津軽為信は、黄金の大日如来尊像を寄進し、歴代藩主の崇敬も篤く、たびたび堂宇の建立や修繕を行った。

またこの地は江戸時代には京・大阪と蝦夷地とを結ぶ北前船の寄港地でもあり、北前船等の商人、港の入り口にあって航海安全・商売繁盛を守護する観音の「澗口観音」と称され、船乗りの信仰を集めた。

この時代は、航海中に嵐に遭うと、まずは帆をおろし積み荷を捨て、それでも危ういときは、船乗りたちは自分の髷を切り落として神仏に祈願したという。そうして助かった船乗りは、その切り落とした髷を奉納していったのが、今も寺に残されている「髷額」である。これらの髷額28点と北前船の船絵馬が70点、国の重要有形民俗文化財に指定されている。

また、北前船の豪商高田屋嘉兵衛の奉納した「ギヤマン玉」「シャンデリア」も残されており、堂へ続く石段や石灯籠、土台石、古伊万里、古九谷、塗り物、蝦夷錦、青玉なども北前船賑やかなりし頃の名残を今に伝えている。

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