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青森県弘前市元寺町(市民中央広場)

2013/08/20取材

 

森鴎外の「山椒太夫」で有名な安寿と厨子王の伝承は全国各地に広がっており、この津軽の地にも伝えられている。

安寿と厨子王の伝承の骨子は、
「平安時代の永保年間(1081~1084)、磐城判官政氏の子安寿と厨子王は、讒言により筑紫に流罪となった父のもとを母と共に訪ねる途中、人買いに騙されて丹後由良湊の山椒太夫の奴婢となった。安寿は命がけで厨子王を逃がし、安寿は死んだが厨子王は生き延び、長じて父と同じ国司に任じられ善政を敷き、のちに佐渡で盲目となり鳥追いをしていた生き別れの母と再会を果たす」
というものだ。

しかし津軽の地の伝承では、安寿は艱難辛苦、なんとか逃れ、岩木山にこもって終に神になったというものだ。

この伝承は、すでに藩政時代以前に成立しており、弘前藩二代藩主信枚が岩木山神社の山門に納めた五百羅漢の中に、安寿と厨子王の木像を作って納めさせている。また領内に山椒大夫の地の丹後の人が立ち入れば、岩木山の神の怒りにふれるので必ず天候不順になるとして、出入りを厳しく取り締まったと云う。

この伝承は、安寿と厨子王の出自とされる「磐城」と「岩木」が同音であることから、説経節の「山椒太夫」の舞台に津軽が当てはめられたものと考えられる。