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青森県弘前市西茂森

2013/08/20取材

 

享禄2年(1529)、浪岡北畠氏七代具永が北畠氏の菩提寺として長勝寺二代秋澗梵菊を迎え青森浪岡に創立した。しかし、天正6年(1578)、大浦為信により浪岡北畠氏は滅亡し、それに伴い京徳寺も衰退した。

その後、津軽信牧が弘前に新城を築き、城下を整備する際に、禅林街に長勝寺が移ったことで、開山が長勝寺二代とのことで弘前に移されて再興した。現在の本堂は宝暦10年(1760)に建てられたもので、禅林街三十三ヶ寺の中では最も古い。

京徳寺は、禅林街の黒門を通り、右側最初の位置にあり、ここには下馬札が立てられており、津軽藩主が長勝寺に詣でる際は、ここで馬から降りることから京徳寺は「下馬様、ゲンバ様」と呼ばれていた。

本尊は、浪岡北畠氏の守本尊の竜負観音で、江戸時代初期に作り直したものと云う。この観音は、旱魃時には雨乞観音として信仰されたと伝えられる。また十二支堂には、北畠氏代々の位牌が祀られている。