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青森県弘前市西茂森

2013/08/20取材


長勝寺は、大浦盛信が父光信の菩提を弔うため、享禄元年(1528)、菊仙梵寿を招き、種里村に開山したのが始まりと伝えられている。その後、津軽為信が大浦に移し、さらに慶長16年(1611)、弘前城築城に際し、城の裏鬼門に当る現在地に移された。

長勝寺は、弘前藩主津軽家縁の寺院として重要視され、長勝寺を中心に構成された禅林街全体が、弘前城の出城的機能を持ち、城下町との境には土塁が築かれ、西側には堀、北側は断崖、東側は低湿地帯と、要害の地になっている。

長勝寺は弘前藩主津軽家の菩提寺であり、また祈願所でもあり、病気平癒や、大飢饉による餓死者の供養なども行われ藩内曹洞宗の僧録所としての格式も持っていた。現在も長勝寺境内には多くの建物や寺宝が残され、長勝寺の象徴的な存在である三門は寛永6年(1629)、二代藩主津軽信枚によって建立されたものである。

本堂と庫裏は、慶長年間(1596~1614)に建立されたと伝えられる建物で、本堂は曹洞宗の本堂建築としては全国的に見ても最古級とされ、庫裏は大浦城の台所を移築したものと言われている。その他にも初代藩主為信の木彫を安置している御影堂や、境内背後にある5棟の津軽家御霊屋など、多くの文化財を有している。