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青森県蓬田村蓬田汐越

2012/05/15取材

蓬田城は大館と小館に分かれており、当初は小館が使用され、南北朝時代から室町時代頃に大館に移ったと思われる。城域は広大で、大きく3つの郭が存在し、北と南東に堀が存在し、北側の堀は長さ約300m、幅15~20m、深さ3mの大規模なものだった。

蓬田城の築城時期や築城者は定かではないが、嘉禎4年(1238)頃には、藤崎安東氏の一族の、潮潟四郎通貞が居したとされる。その後、相馬佐伝四郎則政がこの地に流れ来たり安東氏の庇護を受けて蓬田城主となった。

嘉吉3年(1443)頃、安東氏は南部氏との抗争に敗れ蝦夷地に逃れると、この地は南部氏が支配し、奥瀬建助が居城し、数代を経て文明年間(1469~87)に、相馬氏の蓬田越前守則政が返り咲き城主となった。しかし、天正13年(1585)、津軽統一を目指す大浦(津軽)為信により攻められ、蓬田氏は城を明け渡し南部に逃れた。以降、蓬田城は廃城になったものと思われる。

後年の戊辰戦争の際に、相馬氏が五稜郭戦争に出征の折この地に至り、先祖を祈願するため宗像大社から分神した額を八幡宮に奉納したと云う。