スポンサーリンク

青森県今別町袰月

震災前取材

この釈迦堂の草創は、天長年間(824~834)で、元和年間(1615~24)に再建されたと伝えられる。本尊は釈迦如来像で、この地の舎利浜に打ち上げられていたと云う。

聖観音像も安置されており、津軽三十三観音の二十一番札所となっているが、この地には二十一番札所が2ヶ所ある。この地から約4kmほど東に「鬼泊巌屋観音」があり、聖観音像は巌屋観音堂にあったもので、巌屋観音堂も二十一番札所になっている。

昔、本覚寺五世貞伝上人の代に巌屋観音堂は荒廃し、上人により本尊は本覚寺に移された。明治時代初頭の神仏分離令で巌屋観音堂は廃された。しかし廃仏毀釈運動が収まった明治20年代(1887~96)に、本覚寺から観音像を譲り受け、この地に滝見観音海雲洞として祀られた。

さらにその後、明治30年代(1897~1906)に巌屋観音堂が元の岩窟に再建されたために津軽三十三観音霊場二十一番札所が2ヶ所になったと云う。