青森県三沢市古間木山

2016/04/06取材

 

この地の旧渋沢邸は、明治10年(1877)、渋沢栄一が37歳の時に、東京深川福住町に自宅として建てた建物で、その後三田綱町に移され、平成3年(1991)、この古牧温泉の地に移築され、保存されている

和館は、大小26室から成り、内玄関と土蔵を含めて240坪ある。最も広い表座敷は総檜造りで、節のない材料が使われている。階段の手摺に黒柿、2階の18畳の天井板には屋久杉の一枚板、床柱には南天、欄間には柿など、現在では調達できない貴重な材料を、惜しげもなく使っている。

建築に当たったのは、名工といわれ清水建設の始祖の二代目清水喜助で、その入念な建築技術の粋を随所に見ることができる。この旧渋沢邸は、喜助が造ったものとしては現存する唯一の遺作で、その点からも貴重な建物だといえる。

渋沢栄一は、現在の埼玉県深谷市の豪農の家に生まれ、一橋慶喜に見いだされ幕臣となった。明治期には、第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、主に経済界で活躍し「日本資本主義の父」ともいわれている。

この地に渋沢邸を移築した杉本行雄は、渋沢栄一と二代目敬三の秘書・執事を長期にわたって務め、後に十和田奥入瀬観光の拠点として、この地の観光開発を志し、ボーリングの結果、古牧温泉の源泉を掘り当てた。

当時の渋沢邸は、大蔵省が管理し、外人の接待、会議、パーティなどに利用されていたがすでに老朽化していた。杉本は、平成2年(1992)、大蔵省に懇願し渋沢邸の払い下げを受け、建物は清水建設により解体され、和館・洋館328坪の建物は、屋根瓦と畳以外はすべて忠実に復元され、翌年、渋沢敬三の命日に移築が完了した。

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