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青森県三戸郡田子町石亀字館

2014/08/25取材

 

石亀館は熊原川の左岸、石亀集落の北の西から東側に張り出した比高20~25mの丘陵先端に築かれていた。城は北側を沢で、東、南側が段丘崖で区画し、西側の丘陵続きは堀で仕切っていたと思われる。内部は切岸で区画された3郭構造で、西側から主郭、二の郭、東物見が連郭式に連なっている。現在山上は広く畑となっており、遺構はあまり見られないが、南北に走る道路が堀跡で、南端にその痕跡が残っている。

築城年代は定かではないが、大永年間(1521~27)、三戸二十三代南部安信が領内の支配体制を強化するため、四弟の信房を鹿角街道の要衝地石亀に配し、この時石亀館は築かれたと思われる。信房は以降石亀氏を称し、その後斯波氏に備えるため不来方城代を務めている。

石亀氏は紀伊守信房の後は石亀大炊介政頼が継いだ。九戸の乱の際には南部信直方に与した。その子七左衛門直徳は南部家の重役を務め、「石亀館、四百石、石亀七左衛門」と記されている。