青森県田子町石亀

2014/08/25取材

 

天正19年(1591)九戸の乱は、中央勢の謀略により九戸政実らは捕えられ、城兵や女子供は、九戸城の二の丸に押し込められ、四方より火をかけられ、猛火の中逃げでてくる者達は、弓、鉄砲、槍、長刀にて討ち取られ、刃を恐れ逃げる者達は、焔に巻かれ焼け死んだ。

政実の一子九戸亀千代も母とともに捕らえられ、蒲生氏郷は即座に斬首を命じ、蒲生の陣で母と共に首をはねられ、首は長光寺に送られて葬られた。

しかし追手の名や殺害場所には諸説あり、また生き延びて堀野三右衛門政信と称し、徳川秀忠に仕え3000石を得たとするものもある。

この地では次のように伝えられる。

政実の一子亀千代は、津軽に逃れようとしこの地に差し掛かったが、南部信直の家臣の、佐藤軍郷に捕えられた。亀千代は観念した様子で西に向かい手を合わせ経をあげた。軍郷はその可憐さと潔さに涙しながら亀千代の首を落とした。その場所が田んぼの中の祠のある場所だという。

佐藤軍郷はその後、亀千代の菩提を弔うべく、武士の身分を返上してこの地に留まり、亀千代を祭神として若宮八幡宮を建立し、代々これに勤仕してきたと伝えられる。

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