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青森県三戸町川守田字関根

2014/08/25取材

 

南部地方は古くから名馬の産地として知られていた。藩政時代、南部九牧を統轄する「御野馬役所」が三戸町にあり、「御野馬別当」がこれを支配していた。

この野馬別当を一戸家が勤め、この地にその屋敷があった。一戸家の祖の、一戸兵部綱定が、この地の清水にふさわしい松を、高寺というところから名水の近くに移植し、名水での野点を、名松の下で心行くまで楽しんだと伝えられる。

この松は、古来多くの詩歌にもうたわれた。江戸時代中期、京より来遊した雪氷山人が、「扶桑比すべきなき臥竜の勢する名松」とたたえている。

明治14年(1881)の明治天皇御迎幸の際には、北白川宮能久親王から「翠葉千年之緑、貞節古己の操」の御染筆を賜った。

推定樹齢370年、樹高6m、枝張16m。昭和58年(1983)には「日本名松百選」にもとり上げられた。