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青森県中泊町小泊

震災前取材

この地権現崎には、除福が漂着したとする伝説が残っている。除福伝説は日本海側を中心として各地に伝えられるが、この地では次のように伝えられる。

人皇七代孝霊天皇72年(184)、除福の船がこの権現崎に漂着した。除福は、尾崎山で仙薬行者ニンニクなどを採取し、この地の人々に、薬草や漁法を教え、生活をともにした。

権現崎頂上の尾崎神社には、航海の神として除福像が祀られており、尾崎神社を守る尾崎氏は、除福の子孫であると云う。

天下統一後の始皇帝は、神仙の道に心を奪われ、特に「不老不死」の薬探しに躍起になったと云う。徐副は始皇帝の命を受け海へ出たが仙薬を手に入れる事は出来ず、紀元前210年、徐副は再度、良家の男女三千人、五穀の種と百工をたずさえて渡海に出て、そのまま戻ることはなかった。

除福は、かつての徐王国の末裔で、先祖は夏王朝の初期に「徐」に封じられた王で、子孫は代々長江、准河、泗水、済水の流域一帯に栄えた一族の流れと云う。

1982年、中国で除福伝説が残る「徐阜(じょふ)村」が発見された。かつては除福村と呼ばれており、調査の結果、村には「徐福廟」があるものの「徐」姓を名乗る者が一人も居ない村だった。しかしこの村の伝承では、「徐福が旅立とうとする時、一族を集め、皇帝の命により薬探しに旅立つが、もし成功しなければ秦は必ず報復し、「徐」姓は断絶の憂き目にあうだろう。旅だった後には、もう「徐」姓は名乗ってはならないと命じ、それ以来、徐姓を名乗る者は全く絶えた」というものだった。

除福の3000人を率いての東の蓬莱島への船出は、恐らくは国外への脱出であり、それらの人々の多くが日本に漂着したことは事実だろうと考えられる。