青森県南部町斗賀

2014/08/24取材

 

十和田湖、八郎潟、田沢湖の三つの湖にかけての壮大な伝説の中の八郎太郎に対するもう一方の主役の南祖坊の生地が、この十和田神社の地と伝えられる。

十和田湖の主となった南祖坊は、関白藤原是実の嫡男の是行の子として、奥州糠部のこの地で生まれた。南の地に先祖がある故から、幼名を南祖丸と号した。

関白藤原是実は無実の罪で奥州に流され、許されぬまま没した。その子の是行は、この糠部郡の馬渕川べりの斗賀に住み着き、名を藤原宗善と改めた。

如何なる荒馬も宗善の厩に入ると悪癖が直り、名馬となったといい、この「ご宗善さま」が後世信仰の対象となり「蒼善」と崇められるようになった。この宗善とこの地の娘の玉子姫の間に南祖丸が生まれた

その子の南祖丸は才知にすぐれた天童で、一字を学び十字を知り、一度聞いて忘れることは更になかった。

南祖丸は、当時博学の和尚と言われた七崎村の永福寺に弟子として入り、手習い学問を教わった。昼夜勉学に励み、12歳の時にはすでに師に勝っているといわれた。

その後南祖坊は、岩城の常福寺で寺僧となり、名僧と仰がれたが2年余にして修行の旅に出た。18歳で故郷を出て以来、六十余州をまわり修行の旅で過ごしたが、両親の墓を拝し供養せんと志し、故郷の奥州斗賀村をさして下った。

修行の旅に出てから早や五十年の歳月が過ぎ、すでに白髪壮年の六十八歳になっていた。

その後、斗賀村十和田神社に宿り、聖禅しお告げに従いこの十和田神社でワラジを結び下山し、錫杖を杖に十和田湖へ急いだという。

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