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青森県八戸市小田

2016/04/06取材

 

天喜年間(1053~58)に、鎮守府将軍に任命された源頼義が陸奥国を治めるために八幡神を勧請したのが始まりと伝える。

その後源義経が平泉から逃れ、この地に寓居した際に毘沙門天の像を納め、その像の背中に3寸6分の八幡神の木像を填めて安置し、以降「小田毘沙門堂」と称された。

その際、この地に義経が自ら小さな田を開いたことから、この地を小田(こだ)と呼ぶようになったと伝えられる。

江戸時代の天和2年(1682)以降は、小田山徳城寺と称し、毘沙門天が北域を守護する天部である為、八戸藩根城の北方を鎮護する役割があったとされる。

明治の神仏分離令により、毘沙門天像の胎内に納められていた八幡神像を取り出して祀り、毘沙門天像は別棟に安置し、社名を「八幡宮」と改称して明治6年(1873)村社に列した。