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青森県八戸市豊崎町上永福寺

2016/04/06取材

 

普賢院は古く、その起源は平安時代にまで遡り、弘仁初期(810頃)草創、承安元年(1171)、行海法印によって開基されたと伝える。古くは永福寺という寺院名で、南部藩の祈願寺だった。

古くから神仏習合し七崎神社の別当寺院として寺運も隆盛した。七崎神社はこの地方の修験道の一大拠点だった地で、別当寺院は普賢院の他、善覚院、大覚院があった。

三湖伝説で、十和田湖の主である八郎太郎と、七日七晩戦い、見事勝利し、八郎太郎の代わり十和田湖の主になったと伝えられる南祖坊はこの地で修業したとされる。

南部氏が盛岡に拠点を移す際、永福寺も盛岡に改めて建立されることとなり、以後寺院名は普賢院となった。