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青森県五戸町倉石中市字田茂平

2014/08/24取材

 

高良神社の創成は大同年間(800~09)となっており、祭神は、軍神竹内宿禰である。

竹内宿禰は、応神、仁徳天皇ら五代の天皇に仕えたという伝説上の忠臣であり、古代の紀氏や蘇我氏などの中央有力豪族の祖とされる。古くこの地を治めていた木村氏は、紀氏の後裔とされることから祀られているのかもしれない。

その後は神仏混交し、別当には修験寺の多聞院があたり、宝暦年間には「毘沙門堂」となっている。

盛岡藩主からも崇敬を受け、宝暦13年(1763)に、盛岡藩八代藩主南部利雄が御輿を奉納している。この御輿は五戸地方最古といわれ、御輿には「奉納御輿、崇高三四代南部大膳大夫利雄公」「武運長久」と記されている。またロシア人のラクスマンの絵馬が奉納されている。

明治初頭に発令された神仏分離令により、仏式が廃され、明治4年(1871)に村社に列した。