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青森県平内町福館

2014/08/23取材

 

雷電宮の草創は、大同2年(807)、坂上田村麻呂によって建立されたものと伝えられる。

一説には、はじめ南部の地に建立されたものが東岳に祀られ、それが文禄2年(1594)頃に、洪水により現在地付近に漂着したと云う。これを翌文禄3年に、この地の福館の城主であった七戸隼人が現在地に遷座し、再建したのがはじまりだともいわれている。

その後、明暦2年(1656)に、津軽黒石藩分知の時に、領主によって再建され、寛文2年(1662)からは社料として米五俵を永代奉納され、以来、平内地方の総鎮守として崇敬を集めてきた。

もとは神仏混交で、祭神は別雷命で御神体は雷をかたどった物であるといい、また文殊菩薩も祀られていたが、これは明治初年の神仏分離令をうけて排除されている。

神社のすぐ東側の浅所海岸に飛来する白鳥は、古来から神の使いとして崇敬されてきた。

天正年間(1573~1592)に、南部勢が来攻してきた際に、七戸隼人が当神社に祈ると、たちまち数千の白鳥が社内に飛来し、援軍が来たと驚いた南部軍は、途中から引返したと伝えられる。