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青森県板柳町大俵和田

2015/08/27取材

 

この神社は、昭和7年(1932)に創建された比較的新しい神社である。もとは安田家の氏神だったと云う。この地のりんご作り農家の方が、「神意を受けて」建立した神社である。

安田健之助翁が、りんごの生産に専念していた昭和3年(1928)の春頃より、不思議な事が起り始めた。庭の立木に一尺二寸、高さ三尺位のお堂が紅白の縄で結ばれていた。誰の仕業か話合っていると、夜ともなれば大男が姿を現し、床に長さ一尺八寸、巾が九寸位の大きな足跡を遺していった。

度重なる出来事に夜も眠れぬ日が続いていたが、今度は畑に、驚く程大きなヘビが姿を見せ、家の壁には文字が書かれた。その文字は十二山の神、「大山祇大神」と読めた。

その後、家の壁に「タユ(神主)タノム」とあり、即ち「我を祀れ」という意味だと考え、健之助翁は、立木にあったお堂を、自分の家の床の間に祀ることにした。しかしいつの間にか、そのお堂は元の立木の場所に戻っている。

健之助翁は、それならばその場所に社殿を建立しようと思い立ち、地域の方々の協力を得て、昭和7年(1932)に完成したという。