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青森県鶴田町廻堰大沢

2015/08/27取材

 

津軽富士見湖は県内最大の貯水湖である。万治3年(1660)、弘前藩四代藩主津軽信政が、新田開発のために堤防を築き、用水池にしたといわれている。

堤防は延長4.2kmと日本一長く、湖面に津軽富士岩木山を映すことから、「津軽富士見湖」と命名された。

平成22年(2010)には、農林水産省の「ため池百選」に選ばれている。

この湖には次のような悲恋伝説が伝えられている。

今からおよそ600年前、この地域を治めていた清水城の城主、間山之守三郎兵衛忠勝が、狩りの帰り道、草深い里にある太右衛門の家に立ち寄った。この家には白上姫という美しい娘がいた。忠勝は一目で白上姫に恋し、二人は愛し合い一年ほどが過ぎた。

ところが、翌年の秋、忠勝と土地の娘の琴姫との婚約が進み、忠勝はいつしか白上姫を忘れるようになっていった。そうとは知らぬ白上姫は、忠勝の正月用の晴れ着を縫い上げ、城下へとやってきた。城に近づくと、普通の日と違って大変な人通りだった。不思議に思った白上姫は、通りかかった人に尋ねると、なんとこの日が忠勝と琴姫の婚礼の日と知らされた。

白上姫は手にしていた晴れ着が落ちたのも知らず、人目を避けて帰る足は、いつしか大溜池の畔に姫を運んでいた。水草が揺らぎ、波紋を残して白上姫の姿は水中に消えていった。

翌年の春の小雨が降る日、大溜池に清水城へ向って湖水を渡る白竜を見た人がいた。「白上姫の霊」ではないか・・と大騒ぎになった。まもなく忠勝は狂乱し、自分の妻を殺し、自らも湖に身を投げてしまった。

それ以後、湖にはたくさんの鮒や鯉が住むようになり、鶴が飛来するようになったと伝える。