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青森県南部町字小向聖寿寺(三光寺境内)

2013/08/21取材

※拝観は要予約(南部町役場へ)

盛岡南部藩初代藩主南部利直が、四男利康の死を悼んで創建した霊廟。江戸時代初期の建築で、桃山建築の様式がそのままに取り入れられている。昭和28年(1953)、国の重要文化財に指定された。

当時の南部藩は、鹿角に金山が発見され、その財力が最も豊かな時期だったこともあり贅を凝らした造りである。用材は全て木曾産の最高級の檜であり、入母屋造の桃山様式建築で、霊屋全体に花鳥木が極彩色で描かれている。向拝柱だけが方柱だが、他はすべてが黒漆塗りの円柱で、その上は彩色した斗組、黒漆に金で絵模様をつけた軒桁を載せ、金銅の金具で飾った二重の垂木の列を支えている。

南部利康は、南部利直の四男で、父利直は、利康の幼名が「申千代」だったことから「於申」と呼んでことのほか可愛がったと伝えられる。そのためか、木鼻には猿の丸彫りが施されている。

南部氏の跡は、正室との子である重直が継いだが、利康は南部氏の名族で断絶した南家の旧跡を継ぎ、五戸の浅水城主として5千石を領した。しかし、寛永8年(1631)24歳で早逝し、南部氏の聖地とも云えるこの地に葬られた。